多くの企業の方々と関わりを持つことができる点が、私共のような仕事をする者の一つの喜びです。そのような中でも、特に人間的魅力に溢れた方々のうち何名かにご協力をいただき、数度にわたりお話を聞かせていただく予定です。・・・(続き)
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Vol.5-2
田中潤氏(株式会社ぐるなび 執行役員 管理本部 人事部門長 兼 総務部門長)
×相原孝夫
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(相原)
今後は人事の仕事をやっていこうと思われたのは、いつ頃ですか?
(田中)
人事の仕事をやっていきたいと思ったのは、40才になる頃です。2003年に人事情報システムを導入した際、他の業務も相当に膨れ上がっており、私が責任者をさせていただいていた人事シェアードサービスの組織全体が非常に多忙な状況に陥りました。当時、メンバーの1人が筑波大学の社会人大学院でカウンセリング心理学を学びたいといって通っていました。もちろん大学院に行くことは大賛成で、できる応援はしていましたが、夕方6時に会社を出て大学に行き、10時頃に会社に戻って、終電近くまで働いて、その後、夜中にレポート書いて、という生活を余儀なくされていました。人事情報システムは納期・予算ともに予定通りに導入を終えましたが、修論の提出がカットオーバーとほぼ同日という状況の中で、どちらもきちんと頑張り抜きました。カウンセリング心理学は自分も非常に興味があり深めたいと思っていた分野なのですが、何も踏み出していない自分と比べて、彼女のすごさには感動しました。
そこまでやっていたメンバーが、次にGDCFというキャリアカウンセラーの資格を取ると言い出したので、何となく悔しくなって、そのメンバーよりも1日先にGCDFの申し込みをしました。メンバーに背中を押されたり、教えられることはほんとうによくあります。キャリアカウンセリングのコースの中では、題材に自分を使うことも多いので、すごく内省する機会を得られます。また、非常によいクラスメイトにも恵まれました。GCDFのコースが終わる頃、自然に、人事や人との関係で価値を作っていくのが自分の仕事だなと感じました。それが40才です。不惑ですね。
しかし、その後に営業に戻ることになります。面白いものですね。30代半ばまでは「営業に戻りたい」とよくいっていたのですが、40歳になる頃には、さすがに「もうないな」と思っていました。それが、42歳になって営業に戻ることになったわけです。人事は、12~13年やったことになります。異動先は、日清製粉の子会社のフレッシュフードサービスという社員100名程度の会社です。もともとは、日清製粉が製法特許を取得した冷凍麺の普及のために作った会社ですが、それ以降、様々な日清製粉の新規ビジネスを取り扱う会社に姿を変えていきました。当時は、ナポリピッツァに注力しており、「パルテノペ」という直営店を営業するほか、ピッツァ生地を日本中の外食店に販売する仕事に力を入れていました。
そこで食材営業の営業部長を3年やりました。会社としては経験を積ませようとしたのかなと理解はしたのですが、せっかく40歳を過ぎてこれからは人事をやろうと思っていたので、異動するのは不本意という思いが正直ありました。でも、ここでの仕事はなかなか面白かったです。もともとは日清製粉の出向者ばかりで構成されていた会社なのですが、当時はどんどんプロパーの営業を採用し、若い営業担当が中心のチームになっていました。もしそこに行く機会がなかったら、おそらくぐるなびには転職できなかったと思います。


(相原)
その後、転職されるのですか?
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(田中) 「15年以上も小麦粉の営業から遠ざかっている人間がやって良いのか?」と最初は思いましたが、まぁ自分らしくとりあえずやってみようと考えました。営業の先輩、後輩、昔の上司の皆さんが、ほんとうに温かく迎えてくれたので、前向きになれたのかもしれません。いい仲間のいる、いい会社だと改めて実感しました。普通の営業マンとはちょっと違う切り口で営業を考えてみようという意識を持っていました。 |
実は、その1年前の夏のことですが、転職先も決めて会社に辞表を出したのですが、説得をされて転職をやめたということがありました。その後、営業に戻り、結局はやはり転職にいたったという次第です。
営業に戻ってきつかったのは、人脈です。製粉業界というのは成熟した業界ですので、長いブランクがあっても、商品ラインナップはあまり変わっていませんし、顧客構成も大きくは変わっていない。でも人は変わっているわけです。ずっと営業にいた人には、今の○○パンの製造部長と若い頃から飲んでいる、というような歴史からくる関係がありますが、自分にはそれがありません。逆に、人事の世界では、出向中も色々な勉強会に出るなどして、関係をつないでいましたので、知識、人脈もあって、それを使わないともったいないと思いました。今から考えると、それが転職動機というか、転職を後押ししたようなところがあります。

(相原)
営業の仕事をしていくうえで、人事の経験がプラスになる点というのは、どのような点ですか?
(田中)
アカウントを持つ営業の担当というわけではないので、責任者として組織をどう動かすかというところで、普通の営業とは違う引き出しがいくつもあったのはプラスだったと思います。営業マンの研修を企画するにしても、いろいろなリソースもありますし、色々な人を知っているので検討の幅は広がります。ただ、何よりも半分斜めくらいから日常を見られる。そういう視点はずっとあったように思います。複数の領域の経験を持つことは絶対にプラスですね。
退社するのを決めてから、だいぶ長く在籍しましたが、その間にも自分としてはまずまず良い仕事ができたと思います。退職を決めると怖いものがないですから、色々とやってしまえる。だから面白い。ああいう感じで、ずっと仕事ができたら良かったかも、と思います。日清製粉は好きな会社なので、今でも付き合いは続いています。最後のぎりぎりまで、力を発揮しようと思い、有休消化もまったくしませんでした。おかけで転職初日は結構、へとへとでした。


(相原)
そのまま行けば出世したはずの道ですが、そのポジションを捨てることへの未練はなかったですか?
(田中)
出世したかどうかはわかりませんが、ポジションに未練はなかったです。転職の最大の理由を整理すると、「このままいると、営業で偉くなるんだろうな。人事の担当でいたほうが楽しいかもしれない。」ということでしょうか。ただ、担当では面白くないでしょうが・・・(笑)。
会社と仲間には未練がありました。自分が新卒から採用に関わった社員が600人くらいはいました。当然ですが、採用した社員や直属のメンバーには特に思い入れがあります。

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(相原) (田中) |
(相原)
今も相当にハードワーカーですよね?
(田中)
いえいえ、今は、昔に比べたらまだまだまっとうかもしれません。当時の部下の人たちには本当に「ごめんなさい」という感じです。果てしなく仕事を追及する上司でした。
(相原)
当時と比較すると、ハードではないですか?
(田中)
もちろん会社全体としては、かなりハードに働く方です。インターネット会社の宿命ともいえますが、スピードが極めて重要です。例えば、メーカーですとシェアを大きく変えるためには、工場を建てるなどして生産能力を増加させないと無理ですよね。これには、通常、数年の期間がかかります。ですから、一夜にしてシェアが劇的に変わることは考えにくいものがあります。しかし、インターネット業界では、極端な話、アイデアを持った1人の学生が何かをしでかす可能性もあるわけです。組織が大きくなってもスピード感を持ってやっていかないと絶対にいけません。おそらくこれは、インターネット会社に共通することだと思います。そのためには、メリハリをつけスピード感を持って仕事を進める必要があります。
(つづく)
























