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Vol.3-2
小西孝久氏(東京海上日動火災保険株式会社 人事企画部 次長 兼 企画組織・能力開発グループリーダー)
×相原孝夫
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(相原) (小西) |
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「お前いつまで学生やってんだ!何を考えて、そんなことをやるんだ!しっかり考えろ!」なんて、毎日こんな感じで(笑)。ほんと一から十まで怒られるわけです。自信に満ちた学生時代、怖いものなし、くらいの勢いが、入社1年目に完全に崩されて・・、認めるしかない実力の差に直面して、学生とのギャップに悩んで、本当にストレスが大きい状態が1年間ずーっと続いて、これはきつかったですね。大げさですが、金縛りにあって、怖くて動けない、みたいになっていた時期もあったかもしれません。まあ、今から思えばこの1年間、当時の上司から学んだものが自分の基盤になっていて、感謝でいっぱいなのですが。
ところが、2年目になり、後輩の新人が入って間もないある日、「小西!そろそろ卒業だな」って、言われて。「1年でいっぱい学んだだろ、これからは課長になったくらいの気持ちで、お前の好きにやってみろ」とまで言ってくれました。あまりのギャップに驚きましたが、内心は嬉しかったですね。毎日、説教され続けた上司から認められた充実感、もちろん単純に説教からの解放感もあったのでしょうが(笑)。この1年目の基礎教育(笑)は、本当に自分のベースになっていて、愛情いっぱい指導いただいた当時の上司とは今でも、定期的に機会を持ち、未だにいろいろと教えていただいています。素晴らしい方です。
(相原)
その時の上司の方の卒業基準とは何だったんでしょうか?
(小西)
よく言われたのが、「パン屋でもやったらどうだ、小西商店の店主でもやれ」とか、「組織とかチームで仕事するということが、全然わかっていない。一人でやっている」とか、「会社には色んな知恵や力を持った先輩や上司がいるんだから、もっと色んな人の知恵を借りろ」とか、「協力を得られるような人間関係作って仕事をしないと、大きな、良い仕事はできない」。「お前は一人で勝手に物を考えて判断してお客さんにすぐ動いてしまう」などなど。「動く」という持ち味は認めていただいていたのでしょうが、「勝手に」というところがあったのだと思います。「それだけだと相手に失礼だ」「お前は所詮一人、一人の人間ができる仕事などしれている」と、いったことをいつも言われていたんですね。もっと周りと協力して、知恵を結集して、謙虚になって人の力を借りるとか、そういうことをとにかくやれ!とずっと言われてきましたね。卒業基準かどうかはわかりませんが、まあ、少しはそういった組織とかチームとか、そういった社会人としての基本スタンスがわかるようになった、ということではないかと思います。
(相原)
元々学生時代に野球というスポーツをする中でチームワークに自信を持っておられたでしょうから、そう言われた時はショックだったのでは?
(小西)
そうですね。野球を通じて身につけてきたチームワークとはまた少し違ったもののような気もします。私はピッチャーだったので、どうしてもワンマンなところがあって・・・(笑)。実際、ピッチャーは孤独で、一匹狼的な部分がある人が多いと思いますよ。ひとりマウンドにたって、勝負するわけですから、俺が、俺が、っていうところも少しはないとね。それでも、チームでやっているつもりは十分あるんです(笑)。

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(相原) (小西) |
逃げ場がなく、真正面から向き合う経験を4年間、情の厚い大阪の南エリアで経験させてもらいました。結構、気性が荒い人も多い(笑)エリアなので、「怖いな・・」と思いつつも、逃げたらあかん!と言い聞かせることも多かったですね。部下は上司がいざという時、盾になってくれるかどうか一番見てますからね。
最初はメンバーの思いや価値観がバラバラに感じ、組織がひとつの方向感や目的に向かうことの難しさを痛感しましたね。一番強く感じたことは「マネジャーは我慢しないといけないな」ということ。当時は「マネジャーの仕事は我慢なんじゃないか」って言ってたんですよ。血気盛んな若手マネジャーなので、自分が先頭に立ってなんでも決めたいしやりたい。でも、それだと結局は指示待ちメンバーになって、やる気が育たない。我慢することなしにマネジメントは絶対できないっていうことです。


(小西)
よくデキる担当者がマネジャーになって、上手くいかないと言われます。担当者気分が抜けず「こうしたい、ああしたい」ってことをすべて前面に押し出す。でもモチベーションが高く均質のメンバーが揃った組織では通用するかもしれませんが、価値観ややる気がバラバラで、多様性のある組織では「どうぞひとりで勝手にやって下さい」ということにもなりかねない。本当にマネジメントの難しさを痛感したわけです。さすがに「いやなら、お前辞めろ!」と言える時代ではないので、いかに一人ひとりを前向きにリードして、今よりも活かすか、輝いてもらうのか、それぞれの現状よりも少しずつパフォーマンスを上げてもらえるようにするにはどうしたらいいか、これをすごく悩んだわけですね。
そのためには自分が我慢するしかないと思いました。自分かメンバーのどっちが我慢するかですよね。自分がやりたいことをひたすらやろうとしたけど、それだけではメンバーの心も、結果もついてこないんです。モチベーションを上げ、主体的になってもらうためには一人ひとりと、正面から向き合うしかない、「見てくれている」という安心感や信頼感。評価ではなくて「この上司は自分のことをしっかり見てくれているな」と思ってもらえる関係作りがベースだなと思うようになりました。それができると不思議とやりたいことが上手く行くようになって・・。「我慢」が先なんですね。

(相原)
それによって現状よりも全体が少しずつ良くなるということですね?
(小西)
そうですね。最初モチベーションが低かった者もいて、「私は期待されていませんから」とはっきり言い切る者もいたくらいで、彼らには「やりたいことはあるの?あるならそれをやってみればいい」という期待から入ったんです。誰だって、期待されると嬉しいもの。「やりたいことをやってもいいんですか?」ということになって(笑)。関係ができてくれば、こうした方がいいとか、それはやらなくてもいいんじゃないかとか、そういう話がスムーズに成り立ってくるんですよね。
だから、拠点長やらせてもらって後半は、とてもいい循環になって、結果もついてきて「日本一の支社を目指そう!」って。ホントに充実して、楽しかったです。当時のメンバーや代理店さんとは未だにお付き合いいただいています。やっぱり当初は相当葛藤しながら、やりたいことを出したい自分と、それをやると結果が出ない、というギャップに悩み、厳しかったですね。「我慢」をはじめ、いっぱい大切なことを学びました。

(相原)
我慢して期待をかけるというのは、1年半くらい試行錯誤し考える中で、ご自身の中で至った結論ということでしょうか。
(小西)
そうですね。まあ、そうした感覚をもったのは、それほど時間もかからなかったと思いますが、実際に普通に実行して組織に浸透させるまでには、それくらいの時間がかかったかもしれません。メンバーも最初は「口だけ?」と疑心暗鬼になっていたとも思います。やっぱり、口だけの上司もいるし、それなりの「見極め」期間は必要でしょうから(笑)。「今度の上司は違う・・」と信じてもらえるかどうか、一人ひとりと向き合えるかどうか、その辺りがポイントなんだと思います。マネジメントの基本は部下と向き合うこと、ではないでしょうか。
入社してから会社の野球部に入ってずっとやってきたのですが、大阪に転勤する直前、当時の監督が転勤となって自分が選手兼任の監督をやっていたんですね。結局3年くらい監督をやったでしょうか。実は、監督の時にも同じことを感じたんです。プレイヤーとしてやっている自分とはまったく違って、監督としての自分の振舞い方は「我慢」しかないわけですよ。本当は自分がグラウンドに出て、プレーしたいわけですよね。でも選手が活躍するために監督として何をしなくてはいけないかという、選手の時とは頭の中で考えることが180度変わる、その時と近い考え方かもしれませんね。当時、自分に言い聞かせていた「主役は自分じゃない、主役は選手の君たちだ」という気持ちと全く同じですね。監督やマネジャーが試合をするわけではないので。

(相原)
野球部の監督をされる中で、今言われた点以外で何か学ばれた点はありますか?
(小西)
役割をどう与えるか、でしょうか。野球で言うとスタメンとか打順を決めるとか、20人とか30人とかいる部員の中で、この試合で誰を起用するか、やっぱりすごく悩むわけですね。プロ野球ではないのでメンバーを選ぶ基準も違う。技術はもちろんですが、気持ちの問題とか、取り組み姿勢とか、周囲への影響とか、仕事の調子なども入ってきます。ほんと色々ありますよね。誰をどういう具合に起用して、どこで交代させるか。仕事でいうと組織内の役割の与え方に通じるものがあると思います。これはやっぱり常に考えていないといけない。
選手もなぜ自分は使ってもらえないのか、なぜあいつが使われるのか、やっぱり納得感がなければチームにならない。役割の与え方、これは一人ひとりの思いが入っているので、絶対に適当には渡せないんです。それを決断しなくてはいけないという覚悟といった心の持ち方を学んだようにも思います。だから監督業はしんどかったですね。やりがいは大きいですが・・。それは選手の方が数倍楽しめましたよ。(つづく)
























