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対談「光と影と表と裏」

多くの企業の方々と関わりを持つことができる点が、私共のような仕事をする者の一つの喜びです。そのような中でも、特に人間的魅力に溢れた方々のうち何名かにご協力をいただき、数度にわたりお話を聞かせていただく予定です。・・・(続き)
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Vol.2-1
太田直樹さん(MSD株式会社 取締役執行役員 人事部門統括)
×相原孝夫

(2010年10月1日、万有製薬株式会社とシェリングプラウ株式会社が統合してMSD株式会社となる)

 

対談シリーズ2回目の今回は、MSD株式会社、取締役執行役員人事部門統括の太田直樹さんにご登場願えることとなりました。

前回の山崎さんは、理想的な社内キャリアを歩まれておられる方ですが、今回の太田さんは、数度の転職を通して、人事パーソンとしては理想型と言えるであろうキャリアを歩まれている方です。その時々でどのようなご判断をなされ、こうした素晴らしい道を切り拓いて来られたのか、ぜひこの機会にお聞きしたいと思いました。

太田さんとは、太田さんがGEジャパンにおられた時に、JSHRM(日本人材マネジメント協会)のアドバンスコースの講師としてご一緒させていただいてからのお付き合いです。その際の講演では、コンサルタント顔負けの圧倒的なプレゼンテーション力に驚かされたものです。今回もたいへんに淀みなく、示唆深いお話をふんだんにご披露いただきました。

キー語録(Vol.2-1)
経営危機のようなときに企画部で仕事ができたのは一生の宝だなと思いますね。
何か自分ができないことをできるようになりたいとすごく思った。
GEに行ったらもう全身筋肉痛みたいな感じなわけです。
今もって何か将来的にこうなりたいということを意識していることはほとんどないですね。

(相原)
まずはこれまでのご経歴をお聞きしたいと思います。

(太田)
学校を出たのが1987年ですね。最初は三和銀行という日本の銀行に入りました。ここに約13年半、2001年まで勤めました。銀行員というのはだいたい2~3年おきに仕事を変わるようになっていますので、私もご多分にもれず2年ごとくらいにいろんな仕事をやりました。

最初は支店で貸付の仕事をしまして、その次はディーリングルームで為替トレーダーの仕事をしまして、その後2年間アメリカの大学院に留学に遣ってもらって、戻ってきて今度は2年間営業をやり、その後人事部に行きました。

人事部には3年半いました。私の担当は主に新卒採用で、今から考えれば本当に人事の中の非常に狭い仕事ですが、一方では非常に面白い、やりがいのある、言ってみれば人事の中でも最も前向きな仕事でしたからここで人事の仕事の楽しさを知ったとは言えると思います。ただ、自分の人事としてのキャリアの勘定に入るかどうかわからないくらい、本当に新卒専門でした。

人事の次には頭取秘書の仕事を2年くらいやりまして、そのあと今度は経営企画に行きました。ちょうど私が経営企画の仕事をしているときは金融危機の真っ只中で、私がいた銀行も大変な時期を迎えていました。結果としてこの部署が私の銀行での終点になりましたが、私としては経営に不安があるから辞めたいという気持ちはなく、むしろそういう経営危機のようなときに、経営企画の仕事ができたのは一生の宝だったなと今でも思います。

すぐれたリーダーというのはこういうときにこういう行動をするものであるなということを間近で見ることができたし、まさに会社の行く末について我が事として悩んだり考えたりするという経験もそのときにしました。またああいう経験が今後もできるならしたいと思うくらいです。

(太田)
ただ、銀行員として、自分がやってみたかったことを一通りやったという感覚がそのとき出ちゃったんですよね。営業もトレーダーもやって、MBAも取らせてもらって、人事、秘書、企画と経験したかった部署も続けてやらせてもらって、この会社でまだ自分が経験していないもの、経験したいものがあまりもう思いつきませんでした。

多分素直に育った銀行員は一度は支店長をやってみたいとか言うんでしょうけど、私は支店長をやってみたいとは思いませんでしたし。むしろ何か全く新しいことをやりたいと思い、転職を考え始めました。それが2000年くらいです。

ただ、銀行員とはいろんな仕事をやらせてもらう反面世の中に通用するスペシャリティがある人は少ないように思います。私も転職しようと思ったもののなかなかそう簡単ではないなと悩んでいました。

たまたま銀行で一緒に仕事をしていた先輩が二人すでにヘッドハンターや外資系企業に転職していて、このお二人から偶然似たようなタイミングで「人事の仕事をやってみない?」と言われたんですよ。

私は人事部にいたとは言っても新卒採用しかやったことがないので、「外資系の人事なんて私には無理です」と。そうしたら「太田なら要領がいいからできるよ」みたいなことを言われて、「そうですかねぇ」とその気になりました。いくつかの企業を考えましたけど、最終的にGEに引っ張ってくださったのは今HSBCの人事担当役員をされている桜井さんです。これが2001年の7月です。

GEでは中途採用担当のマネージャーから入りました。面接で「あなたは中途採用できる?」と言われて、本当はやったことないんですけど「できます」ってとりあえず言いました。実際採ってくれた方も「まあ、大丈夫よ。多分半年もしたら飽きると思うけど」と言われて入ったら、ものすごい苦労もありましたけど確かに半年くらいしたらだいぶやれているなという感じがありました。

(太田)
そこから先、結局GEに5年近くいるわけですけど、銀行のときに味わったように、何かができるようになったなと思ったら、すぐ次のことをやらせてもらえるという経験をまたそこでも経験できました。銀行のときにすごく楽しかったのは、何かひとつのものができるようになったなと思うとすぐ次のことをやらされたというのが、今から振り返るとすごくよかったんですね。

言ってみれば筋肉痛のような状態で、つまり、何か知らないこと、まだできないことをやると最初は筋肉が痛くなるわけです。でもだんだんできるようになって筋肉痛がなくなったと思うともう次の新しい他のことをやらされる。そうするとまた違う筋肉を使って筋肉痛になる。

でも、銀行のキャリアの一番最後の方は筋肉痛みたいなのもあまり感じないようになってきていて、それが転職を考えた理由でもありました。で、GEに行ったら今度はもう全身筋肉痛みたいな感じなわけです。

当時の銀行はまだまだ男性中心社会でしたが、GEでの私の上司は女性で、上司の上司が女性で、上司の上司の上司も女性ですみたいな環境に入り、仕事のリテラシーも、スピード感も全然違うし、またもう本当にいつも筋肉痛みたいな状態だったと思います。最初は採用のマネジャーでスタートして、そのあと組織開発とか人材開発の仕事になって、最後の方はコンペンセーションとベネフィットの仕事も一部分任せてもらったりしてどんどん広がっていったし、違うことをやらせてもらえました。

GEの5年間で自分の中での人事の仕事をする上でのベースができたと思います。業務の知識や経験もそうですけども、ものの考え方みたいなものが一番勉強になりましたね。

自分に曲がりなりにも何か能力があるとすれば、それは本当に一生懸命ものを考えるという能力で、それは銀行で培ったと思います。だけど、こと人事に関して言えば、GEでそのベースを作って貰ったと思います。人事というものは経営の一部である、ビジネス戦略があって人事戦略があるんだと、だから人事というのはビジネスとは切り離せないものであって、ビジネスの一部であると。GEの人事が素晴らしいのは、単純に人事の理論やプラクティスが独立して素晴らしいのではなくて、つまり単に人のための人事じゃなくてビジネスのための人事だからだと思います。

ただそれをきちんと成し遂げる事で結果として人のためにもちゃんとなっているべきだということは、考えます。いろんな人事の人がいて、人寄り、社員寄りに考える人と、経営寄り、ビジネス寄りに考える人に分けるとすれば、私は後者だと思います。だから自分の周りにはちゃんと人寄りにものを考える人がいないとバランスがとれないなと思ったりするんですね。そんなことがGEの5年間で一番自分にとって勉強になるというか、自分に残ったものです。

(相原)
銀行で人事をやって、頭取秘書をやって、企画というのは明らかに出世コースを歩まれていたわけですけれども、都市銀行でのそういったキャリアを捨てることについて、もったいないというお考えはなかったですか?

(太田)
あまりなかったですね。それこそ若気の至りかもしれないけど、面白い仕事はやり終わっちゃったという感じだったので。やっぱり若い頃に見ていて銀行の中で面白そうな仕事は、海外に行くことと、人事と企画と秘書くらいが面白そうだなというふうには思ってたんです。でもなにか意外と早く終わっちゃったもんですから。もちろん見切ったわけではないですけど。

(相原)
私の友人などを見ていてもそうですが、銀行に入る多くの人たちは、支店長になって一国一城の主になりたい、それからできれば本社に戻って部長をやり、役員をやりというようなキャリアを志向するわけですが、そういう考えはまったくなかったですか?

(太田)
これはかなり後知恵の部分もあると思いますし、生意気な口はばったい言い方になるのをお許しいただきたいんですが、30代半ばで経営の一番真ん中まで一度見たということですよね。支店長になるというのは、そこからまた離れることになるわけですね。支店を経営するので、責任は大きくなると思うんですけれど、よりすごいものを見ていたわけだから何か外に出る感じがあるんですね。経営の中をもう見られないというか。それに対する寂しさはありましたね。そうなると別に面白いとは思わないなという感じですかね

(相原)
結果的には人事の仕事をやることになったわけですが、他にもっとやってみたいと漠然と思い描いていたものはなかったですか?

(太田)
さっきの筋肉痛の話ではないけれど、より難しいことにチャレンジしたいなというふうには思っていましたね。

(相原)
難しいことにチャレンジしていろんなことをやっていきたい、進んで苦労したいという人はそれほど多くはないと思うんですが、そういう志向性というのは、どこから来るのでしょうね?

(太田)
苦労をしたいというのとは違う気がします。できないと思っていたことができるようになる経験を一度したら、またそういう経験をしたいと思うという感じですかね。

(相原)
将来像のようなものがあり、こういう人物になりたいと目指して行く過程だったのか、それとも、どちらかというとそれをクリアするプロセスそのものが楽しいということだったのでしょうか?

(太田)
後者だと思いますね。今もって何か将来的にこうなりたいと意識することはないですね。今よりも面白いもの、やりがいのあるものはあるかなと常に貪欲に探すような気がしますね。
(続く)

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