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   <title>HRアドバンテージ：コラム</title>
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   <title>【コラム】第３９回　〈番外編〉人材紹介会社の宣伝コピー</title>
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   <published>2010-06-22T00:23:33Z</published>
   <updated>2010-06-23T00:04:54Z</updated>
   
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      <![CDATA[<div class="sectionh2">
<h1>〈番外編〉人材紹介会社の宣伝コピー</h1>
<p>前回のコラムで、労働観が危ういということを述べたが、現代社会には健全な労働観を破壊するようなメッセージが溢れており、好むと好まざるとに関わらず、皆そうした影響を受けている。消費資本主義しかり、自己実現への過度なプレッシャーしかり。 </p>
<p>より卑近なところでは、たとえば人材紹介会社の広告などは、そうした観点からすると目に余るものが多い。中でも図抜けてひどいのが、某社の「うわっ・・・私の年収、低すぎ・・・？」というコピーだ。このコピーの横に、驚いて口を押さえる女性の写真がある。</p>
<p>人材紹介会社は人を動かしてマージンを得る商売なので、当然ながら多く動けば動くほど利益が上がる。かといって、できるだけ多くの人に転職を促して利を貪るというのは、職業倫理上、明らかに間違っている。他人の人生に関わることである以上、一定の自主的規制は必要であろう。</p>
<p>もちろん、人材紹介会社は適正な人材の流動性を確保するという観点から必要なサービスである。前向きな転職、後ろ向きな転職、両方あるであろうが、あくまでも何らかの事情によって転職を考えている人が情報を得るための手段である。然るにそういう状況にない人を煽って転職をさせるというのは本末転倒だ。</p>
<p>上記のようなコピーはまさしく、そうした動きを増長するものといえる。言うなれば、社会思想の中に細菌を巻き散らかしているのに等しい。社会経験の浅い若者がこれを見たらどう思うであろうか。こうしたコピーに惑わされてキャリアを崩していく人は後を絶たないのではないだろうか。たたでさえ、同僚や他社に勤める友人と競い合うようにして、より良い転職先探しをするような風潮すらある昨今である。その場合の「より良い」というのが、「より給料の高い」となったら事である。</p>
<p>まだ十分に実力をつけていない時期に、その時点での給料だけを比較して転職などしてしまえば、その後の職業人生はどうなるであろうか。未熟な若年人材に高い給料を出すという場合、それだけの給料を出さなければ人が採れない仕事であり、また、それだけ出しても会社として利益が出るような仕事であることは、経済原理上間違いない。</p>
<p>たとえば、育成せずともとにかく長時間働いてもらえさえすれば、会社としてペイするような仕事などだ。そのような仕事は１０年勤めても給料は変わらないことが多い。しかも１０年経っても当人はほとんど成長もしていない。さて、その後のキャリアをどう切り開いてゆくのであろうか。待っているのは、八方塞がりの状況しかない。過酷な労働条件に嫌気が差して転職をしようにも、発展的な転職はできず、キャリアダウンの職業人生となってしまいかねない。</p>
<p>もちろん、実際にそのような転職をしてしまう人は、転職を考えている人のうちのほんの一握りの人たちであろうが、より広範囲に渡る、根の深い罪悪は、それを度々目にする人達の健全な労働観を破壊するということだ。頻繁にこのようなコピーを目にしていれば、「自分は給料のために働いている」と、知らず知らずのうちに刷り込まれてしまうであろう。</p>
<p>もしこのコピーが、「うわっ・・・私の苦労、少なすぎ・・・？」というものであったなら、人々の労働観に与える影響はだいぶ違ったものになるに違いない。現在の職場が甘すぎて成長できないような場合、たとえ給料は下がろうとも、苦労を求めて、より実力を付けられるような職場に転職をするなんてことが多発するかもしれない。このような意味での転職を促すようなコピーであったならたいへん素晴らしい。弊社ももう少しビジネスに余裕が出てきたら、儲からないことを承知の上で、このような奇特な人材紹介業もやってみたいとも思わなくもない。</p>
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</div>
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   <title>【コラム】第３８回　「報酬」と「インセンティブ」について（2/2）</title>
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   <published>2010-06-01T00:20:00Z</published>
   <updated>2010-06-01T00:34:01Z</updated>
   
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      <![CDATA[<div class="sectionh2">
<h1>「報酬」と「インセンティブ」について（2/2）</h1>
<p>前回の最後で、日本と西洋での労働観の違いについて触れ、西洋ではより労働の対価が重要となるということを述べた。しかし、そのような西洋であっても、金銭的報酬を否定する指摘もある。</p>
<p>米国の心理学者、アルフィ・コーン氏は、著書『報酬主義をこえて』の中で次のように述べ、「金銭的インセンティブ（外的報酬）は、内なるモチベーションを下げる」という点を指摘している。「競争や報酬による動機づけは、その人の関心を競争や動機のほうに向けてしまい、仕事そのものがおろそかになって質が低くなる傾向がある。これは特に創造的な仕事で顕著に見られる。質の高い創造的な作業は、作業そのもののおもしろさに動機づけられたものだ。」　一つの例として、子どもに読書の習慣をつけさせる例を紹介している。本を読んだ子どもに、褒美としてお菓子を与える子と、本を読んでも何も与えない子に分ける。褒美につられて読書する子は、最初はよく読むが、やがて褒美の魅力が低下すると、何も与えない子よりも本をよく読まなくなるという。</p>
<p>金銭的報酬は弊害も大きい。そのインセンティブに慣れてしまえば、あたかもそのために働いているかのような錯覚に陥ってしまう。しかも、金銭的報酬の特徴として、そのインセンティブ効果は急速に薄れていくということがある。とすればどうなるか。仕事そのものの報酬は見えなくなったまま、金銭的報酬の魅力もどんどん低下していくとすれば、不満を抱えながら惰性で働き続けるしかない。読書する子どもの例でも、お菓子の魅力が低下しても、本を読み続けなければならないとしたら、やらされ感でいっぱいになってしまうであろう。金銭的インセンティブを前面に出した誤った成果主義がもたらした一番の弊害は何かといえば、仕事本来の報酬を見えなくした点ではないだろうか。</p>
<p>日産のカルロス・ゴーン氏はかつて、販売奨励金が少ないと嘆く販社社長に対して、「子供に小遣いをやるから勉強しろと言う親はいい親ですか。子供を健全に育てるのは小遣いじゃない。」と言い放ったという（日経ビジネス2003年）。奨励金、報奨金、ボーナス、インセンティブ、褒美、表彰、考えてみれば世の中は報酬だらけである。</p>
<p>労働の健全性を取り戻すことは、会社の責任であるとともに個人の責任でもある。道筋としては、「結果」から「プロセス」に意識を転じることがまず不可欠と考えられる。放っておけば、結果にばかり意識が向かいがちである。そういうプレッシャーが日々働いているからだ。目標も結果目標のみを掲げ、それに意識を集中させることを強いられる。報酬も結果のみに報いる報酬となることが多い。では、どうすれば「プロセス」に目を向けることが可能となるであろうか？自己の役割に意識を向ける、能力の伸長に意識を向ける、他者との関係性に意識を向けるなど、自分にとって大切な価値観を意識することが重要となる。エドガー・H・シャイン氏よって提唱された「キャリア・アンカー」が一つの視点を提供してくれる。「キャリア・アンカー」とは、ある人物が自らのキャリアを選択する際に最も大切な（どうしても犠牲にしたくない）価値観や欲求を分類したものである。</p>
<p>・管理能力：組織の中で責任ある役割を担うこと <br />
・専門的・技術的能力：自分の専門性や技術が高まること <br />
・安全性：安定的に1つの組織に属すること <br />
・創造性：クリエイティブに新しいことを生み出すこと <br />
・自律と独立：自分で独立すること </p>
<p>自分自身の長期的な職業生活における拠り所となるアンカー（錨）を見定め、意識することで、結果としての報酬ではなく、「プロセス」そのものに目を向けやすくなるに違いない。一人ひとりのそうした意識が、金銭的報酬に釣られた、やらされ感いっぱいの労働から脱却し、労働の健全性を取り戻す縁（よすが）となることを願いたい。</p>
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   <title>【コラム】第３７回　「報酬」と「インセンティブ」について（1/2）</title>
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   <published>2010-05-26T00:12:33Z</published>
   <updated>2010-06-01T00:29:23Z</updated>
   
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      <![CDATA[<div class="sectionh2">
<h1>「報酬」と「インセンティブ」について（1/2）</h1>
<p>金銭的報酬が仕事の報酬であるという、残念な共通認識が定着しつつあるように思われる。労働の対価であることは間違いないが、金銭的報酬のために働いているということとは異なる。仕事の報酬とは何か？仕事そのものが報酬である、というのがまず基本であろう。マズローの欲求5段階説に沿っていうならば、生理的欲求はさておき、安全の欲求、所属の欲求、承認の欲求、自己実現の欲求、すべてを仕事は満たしてくれる。仕事がなくなった場合どうかと考えてみると分かりやすい。生活の糧をどうするか、どこで所属欲を満たすか、誰に認めてもらうか、どういう手段で自己実現を果たすか。何らかの事情でやらされ感に埋没しているような場合は、仕事の中に報酬は見出しづらいものだが、仕事である以上、必ず根源的な欲求を満たす要素が埋め込まれているはずである。</p>
<p>筆者の大学時代の友人で、非常に優秀ではあったがキャリア志向がまったくなく、「結婚したら早々に仕事を辞めて自分の母親みたいに悠々自適にやりたいことに時間を使いたい」と就職前から公言していた女性がいた。結婚が決まり、ある時フィアンセの男性から、「もう仕事は辞めてもいいよ」と言われた瞬間になぜかスイッチが入ってしまい、仕事に執着するばかりか、没頭するようになった。それから約１０年、管理職になるかどうかというところまで行き、ようやく退職の決意をし、その後は当初の希望であったような生活をしている。フィアンセからのその一言があったのが、入社４年目であったのだが、それがもう少し早いか遅いかであったなら、こうはならなかったのではないだろうかと私は勝手に思っている。</p>
<p>会社の中で最もモチベーションが高いのは、若手の女性社員ということはないだろうか。最もモチベーションが低く、やらされ感に苛まれているのが実は中高年男性ということはないだろうか。語弊がある言い方かもしれないが、「嫌ならいつでも辞められる」と思っているような場合、やらされ感は自ずと低くなる。良いことも悪いことも、客観視できるからだ。「どんなことがあっても決して辞められない」と思っている場合には、どうしても辛くなる。やらされ感でいっぱいのケースもある。客観性が失われることで良い面が隠され、悪い面ばかりがクローズアップされるからだ。そんな時は、自分の置かれた状況を自分のものとしてではなく、他者から相談された他人事として客観的に眺めてみれば、案外仕事の中の報酬が見えやすくなるかもしれない。</p>
<p>もともと日本人にとって、労働とは特別な意味を持っていた。日本と西洋では労働観に大きな違いがある。「日本書紀」の中では、当時の労働であった稲作は、人間が神からの恵として許された行為であったとある。米は神様達の食べ物であり、稲の栽培は天上の神様達だけが行なえるものだった。それと同じ行為をし、同じ物を食べることを許されたものであった。よって、日本人にとって労働とは「褒美」であり、一種の生き甲斐として始まっている。西洋での「労働」の起源はというと、旧約聖書の中で、アダムとイブの話で語られている。彼らは楽園で労働をせずに暮らすことができていたが、禁断の果実を食べて楽園から追放されてしまい、それからは自分達で額に汗して働き、食べ物を得なければならなくなった。つまり西洋では、労働は「罰」として始まっている。労働そのものが報酬とはならず、辛いことである場合、その対価が重要になることは言うまでもない。（つづく）</p>
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   <title>【コラム】第３６回　「評価」と「評判」について</title>
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   <published>2010-05-11T00:06:32Z</published>
   <updated>2010-05-26T00:12:20Z</updated>
   
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      <![CDATA[<div class="sectionh2">
<h1>「評価」と「評判」について</h1>
<p>日本企業では、「評価ではなく評判で人事が決まる」とよく言われる。「評価」と「評判」、言葉は似ており、意味するところも近いが、その性質は大きく異なる。「評価」は評価基準を満たせば高まることが明白なものだが、「評判」とは主観の集合体であるので基準は存在しない。また、「評判」は長期間かけて築かれるものであるが、いったん落ちると再び高めるには相応の時間を要する。このように、「評判」とはやっかいなものではあるが、いったん高めることができ、落ちることがないようにしっかり管理をすれば、至るところで強力な後押しをしてくれるものでもある。</p>
<p>「評価」と「評判」はもちろん密接に関係し合っている。「評価が評判をつくる」という側面ももちろんあるが、逆に「評判が評価をつくる」という側面がより大きいに違いない。行き過ぎると、「ハロー効果」という評価傾向に陥りがちだ。「ハロー効果」には、「ポジティブ・ハロー効果」と「ネガティブ・ハロー効果」とがあるが、良い評判のある人には評価も高く付けがちであるし、悪い評判のある人には低く付けがちである。いったん落ちた評価が高まりづらいのは、いったん落ちた評判が高まりづらいからともいえる。</p>
<p>「評価」が評判寄りになるか、業績評価寄りになるかは、人材の流動性の度合いによる。流動性が低いほど、労働市場は社内に限定されるため、社内での評判、いわゆる“インターナル・レピュテーション”が重要性を増すこととなる。流動性が高く中途採用者が多いような組織では、長期的に築かれる評判よりは、短期的な実績、業績評価がより重要となる。ゆえに、官僚組織などは、完全に「評判による人事」となる傾向にある。</p>
<p>「評判」は一朝一夕にはつくれないため、弛まぬ努力が必要だ。それゆえ、「自分の評判を高めていこう」という意識は、長期性を伴うものであり、また同時に、周囲との関係性にも自ずと目が向くものであるため、望ましい意識といえるであろう。入社式の社長訓示に度々登場する、「どれだけの信頼を集められるかが勝負」、「築いた信用の一つひとつが財産」というような言葉とも重なる。</p>
<p>では、どうすれば「評判」を高めることができるのであろうか。米国では、「レピュテーション・マネジメント」という言葉が一般化している。日本では、どちらかといえばコンプライアンス関連で使われる「レピュテーション・リスク」という言葉の方がより普及しているかもしれない。これらは、個人ではなく企業の評判、「コーポレート・レピュテーション」について用いられる言葉だが、この考えが個人の評判、「パーソナル・レピュテーション」についても多くのヒントを提供するものと思われる。</p>
<p>『レピュテーション・マネジメント』（ロナルド・J・オルソップ著、日本実業出版社） によると、「企業にとって、自社の『評判』は重要な無形資産。評判への意識を高め、積極的に管理する『レピュテーション・マネジメント』は、今や必須の経営課題と言える」とある。また、『コーポレート･レピュテーション』（チャールズ・Ｊ・フォンブラン、セス・Ｂ・Ｍ・ファン・リール著、東洋経済新報社）では、レピュテーションの重要性を次のように説いている。「優れたレピュテーションは磁石となる。私たちはレピュテーションの高いところにひきつけられるのだ。（中略）高いレピュテーションは万能の名刺を持つようなものだ。どこにでも入っていけるし、熱心なファンを生み出し、顧客や投資家をひきつけるといったように、世間から敬意を受けていればこそ可能な世界が開けるのである」</p>
<p>「コーポレート・レピュテーション」を評価する指標について、ウォール・ストリート・ジャーナル紙は以下の6つの属性を挙げている。 <br />
・ 情緒的アピール <br />
・ 製品とサービス <br />
・ ビジョンとリーダーシップ <br />
・ 職場環境 <br />
・ 財務業績 <br />
・ 社会的責任 <br />
</p>
<p>個人に置き換えると、以下のようになるであろうか。 <br />
・ 情緒的アピール<br />
・ 業務品質とサービスレベル<br />
・ ビジョンとリーダーシップ<br />
・ 自己の状態（モチベーション状況等）<br />
・ 成果・業績<br />
・ 倫理観・責任感<br />
</p>
<p>また、前掲書『コーポレート･レピュテーション』では、「優れたレピュテーションを構築する上での重要な要因として、５つの原則を提示している。これらは、「パーソナル・レピュテーション」を高めようとする場合にも、ポイントになり得るに違いない。<br />
・ 顕示性（Visible）：注目度が高い企業であれ<br />
・ 独自性（Distinctive）：違いを際立たせよ<br />
・ 真実性（Authentic）：誠実に自らを提示せよ<br />
・ 透明性（Transparent）：適切に情報開示せよ<br />
・ 一貫性（Consistent）：「対話」を確立せよ <br />
</p>
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</div>
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   <title>【コラム】第３５回　「向き・不向き」と「最適配置」について</title>
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   <published>2010-04-13T02:00:24Z</published>
   <updated>2010-04-27T05:41:32Z</updated>
   
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      <![CDATA[<div class="sectionh2">
<h1>「向き・不向き」と「最適配置」について</h1>
<p>人事・組織マネジメント上の多くあるニーズの一つとして、「最適配置」というものがある。「最適配置」という言葉は、経営者にとってはなんとも魅惑的な響きを持った言葉に違いない。個々人の強みを一番発揮できるポジションに再配置できれば、組織力は何倍にも高まるのではないか、との期待を呼び起こす言葉かもしれない。しかし、実情は多少異なる。いや、だいぶ異なる。ただ、そこまでの過剰期待を抱いていないとしても、組織の持っている力をまだまだ十分に発揮できてはいないのではないだろうか、との危機感は経営者や事業部門長であれば誰しも少なからず持っているであろう。もちろん、組織力が高度に発揮できている組織などは、そうそうあるものではない。</p>
<p>ただし、向いている仕事に就いたからといって、多くの場合、超人的な業績が挙がるわけではない。たとえば、スポーツをいろいろとやってみて、これは自分に合いそうだとか、合わなさそうという感覚はあるものの、合いそうと思われるスポーツをやっても、誰もがそのプロ選手になれるわけではない。ただ、合うスポーツをやった方がより楽しめるのは間違いないであろう。それと同じように、相対的に向いている仕事をやった方が、ストレスが溜まりづらく、無理なく自然体で行うことができる。ゆえに、会社としても過度な期待をするべきではないし、個人の側も、過剰な期待を持って「どこかに自分に向いている仕事があるに違いない」なんていう考えを持っていては、青い鳥症候群になってしまうであろう。どんな仕事でも、高い成果を挙げるためには、相応の努力が必要なことはいうまでもない。</p>
<p>自己申告等、個人の希望で異動する場合に問題点となるのが、実際にある仕事を行う前の印象は必ずしも当てにはならないということである。興味があるということと、自分に適性があるということは同一ではない。逆に、興味が向かない仕事でも、やってみたら意外にも向いていたということもいくらでもある。経験済みの方も多いに違いない。営業職のハイパフォーマーのインタビューをしてみると、「以前は、自分は営業には向いていないと思っていた」という人が思いのほか多いことに気づく。ただ、自分で希望して異動になった場合、少なくとも初期のモチベーションは高いであろうし、自ら手を挙げた手前、ちょっとやそっとのことであきらめるわけにもいかず、なんとか成果を挙げるべく一定期間努力し続けるはずであろう。その間に、適性を開発しつつ成果が挙がるようになれば、その仕事への興味は持続し、好循環が続くというケースも少なくないであろう。</p>
<p>さて、組織力を今以上に発揮させようとする場合、二種類の方向性がある。一つは、現状の仕事において、各人のモチベーションをさらに高め、成果を高めていく方向。そしてもう一つが「最適配置」の方向であり、各人が最も成果をあげやすいポジションに再配置するというものである。前者が内科的な処方であるのに対し、後者は外科的処方ということになろう。後者の方が、短期的に劇的な変化が起こりそうなイメージはあるかもしれない。モチベーションアップへの取り組みについては、様々なされてきているとともに、その難しさも十分に理解している企業は多い。一方、「最適配置」については、言葉としては出てくるものの、取り組みとして進んでいる例はさほど多くはない。</p>
<p>なぜ、「最適配置」への取り組みは困難なのか、どのようにすれば、「最適配置」に近づけることができるのかについて最後に述べたい。ここでは、自己申告等、個人の希望で異動するという側面ではなく、会社主導で再配置をしていくということについて述べる。個人主導の場合、ごく限られた再配置であり、「最適配置」というほどのボリュームでの再配置とはならないからである。もちろん、会社主導の場合でも、一気に多くのポジションを入れ替えるということは現実的ではないので、中期的計画の中で実行していくことになる。さて、「最適配置」が進みづらい要因とは、ひとえにインフラの問題、仕事と人をマッチングさせるためのインフラの不整備にある。「仕事の見える化」と「人の見える化」の両方が必要となるが、このうち、どちらかといえば「仕事の見える化」の方が進みづらいようである。</p>
<p>進みづらい理由としては、ある一つの勘違いがあることが多い。「仕事の見える化」といった場合、必要な知識やスキルを洗い出そうとする場合が意外にも多い。しかし、これは「最適配置」のためのマッチングには関係のない「仕事の見える化」である。なぜなら、「最適配置」の目的は、そのポジションに就いて無難に仕事をこなしてもらうことではなく、そのポジションで高い成果を挙げてもらうことだ。それゆえ、「高い成果を挙げるために」という観点が入った仕事の洗い出し方でなければならない。質問としては、「この仕事で高い成果を挙げるために必要な資質は、行動は？」ということになるはずだ。「この仕事を行ううえで必要な知識は、スキルは？」ではない。前者はコンピテンシーの観点であるが、そうした観点で洗い出したものと、そうした観点で人材をアセスメントしたデータとがあってはじめてマッチングが可能となる。</p>
<p><a target="top" href="http://twitter.com/home?status=RT@HRAdvantage  http://www.hra.jp/d0000/d2000/00189.html"><img alt="この記事につぶやく" src="/Image/d/common/tw_button.png" /> </a></p>
</div>
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   <title>【コラム】第３４回　管理職が機能するためには何が必要か、評価はどうあるべきか(4/4)</title>
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   <published>2010-03-29T00:01:43Z</published>
   <updated>2010-04-27T05:43:53Z</updated>
   
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      <name>hra</name>
      
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      <![CDATA[<div class="sectionh2">
<h1>「管理職が機能するためには何が必要か、評価はどうあるべきか」（4/4）</h1>
<p>前三回では、管理職がきちんと役割を果たすためには、管理職が機能しやすい環境をつくることが肝要であり、そのためには組織力（職場力）全体を向上させていく必要がある、ということを述べました。しかし、それへ向けての手段となったときに、「管理職の再教育」というように、個人の取り組みとして切り取ってしまうところに問題があるという点を指摘しました。</p>
<p>それでは、どうすれば管理職が機能しやすい環境がつくれるのか。前回は、WHAT（何をする必要があるか）について述べました。今回は本テーマの最終回として、HOW（どのようにする必要があるか）について述べたいと思います。</p>
<p><b>《望ましい環境をつくるためのHOW》</b></p>
<p>「人材像」が明確になり、何をすればよいかが分かったとし、どのようにすればそれらが身に付き、習慣化するであろうか。やるべきことが分かったとしても、習慣化されなければ必要な場面で確実に発揮されるような状態はつくれない。職場全体の取り組みとしなければ継続性は保てず、望ましい状態はつくれないことは既に述べた。つまり、「職場全体での継続的な取り組み」が必要となる。それにあたり、各職場における取り組みの方向性を示し、継続性を確保するうえでの支援が人事部には求められることとなる。具体的には、人と組織の「見える化」が一つだ。それにより改善の方向性が明確になり、継続的な「見える化」により、職場での取り組みの継続性も維持される。次に、それらをより恒常的な取り組みとし、日常化するためには評価制度を中心とした制度的工夫も必要である。</p>
<p>（１）人と組織の「見える化」</p>
<p>現在の状況を正確に把握し、改善の方向性を定めるために「見える化」は不可欠である。また、改善の継続性を確保するうえでは、一度ならず、一定期間継続的な「見える化」が重要となる。人の「見える化」とは、メンバー一人ひとりの適性やスキルレベル、モチベーションの状況などが見える形になるということだ。管理職が部下と十分なコミュニケーションを図っていたとしても、適性を的確に見極めることは容易なことではない。そもそも、それらがある程度把握できていてはじめて十分なコミュニケーションがとれるようになるという側面もある。次に、組織の「見える化」とは、職場の状況がどのようになっているか、メンバーが現在の状態をどのように感じているかを見える形にすることである。これらの「見える化」は、管理職がマネジメントを行ううえで、極めて有効な助けとなる。</p>
<p>これらは十分なマネジメント力を発揮できている優れた管理職であれば、こうした手助けなくしても見えているであろうし、また、そのように手助けなしにできるようになることが最終ゴールではある。しかし、すでに述べたように、重要なことは多くの管理職が無理なくできるレベルのことから始めなければならないということであり、また、管理職個人の取り組みに留めないためにも、周囲と共有できる形で示すということである。よって、人事部としては、「人材像」を定義して明示し、あとは結果を評価する仕組みを提供すればよいというものではない。「結果に至るまでのプロセスの支援」がより重要だ。多くの人事・組織的取り組みにおいて、抜け落ちがちなのがプロセスの支援である。ルールづくりや制度づくりは行うものの、プロセスの支援はおろそかになる傾向がある。そのため、様々な取り組みが地に着かずに流れてしまうということが多く起こる。プロセスの支援とは、現場における管理職の活動を手助けすることであり、そのようなプロセスの中でこそ管理職のレベルアップが図れるのである。</p>
<p>（２）制度的工夫</p>
<p>HOWについての二点目、制度的工夫として、評価制度の見直しの観点について最後に述べたいと思う。</p>
<p>「人材像」を定義し、管理職は何をすべきかを明確にすることがまず先決であると述べた。そしてそれらは当然ながら評価制度に反映されるべきである。評価制度の中に示されれば、そのような行動を起そうという誘引となることは言うまでもない。逆に、評価基準が「人材像」と整合性が取れていない場合は、「人材像」を体現するべく行動改善に努めたことは、結果として評価の対象とはならないという不整合が生じることとなる。これでは、上述のような取り組みの効果は半減してしまう。従って、評価制度を見直す場合のポイントとしては、期待する行動としての「人材像」が、被評価者に対してメッセージとしてきちんと伝わるかどうかがまず第一である。実際、私共が評価制度のレビューなどを行う際にまず見る点はこの点であり、十分なメッセージ性のある基準となっており、対象者の行動を引き起こすに十分なものかどうかという点である。</p>
<p>しかし、評価基準を見直し、整合性のとれたメッセージを発するようになったとしても、それ自体は、組織力向上へ向けての改善を継続的に促すものではないという点に注意しなければならない。例えば、部下育成の行動を管理職に取らせたいがために、「部下育成」を評価項目に入れるということは多くある。これは部下育成が重要な役割であるというメッセージとはなるが、それだけで部下を育成するようになるというほど簡単な話ではない。身に付いていないこと、習慣化されていないことが急にできるようになるわけではない。どのようにすればよいか分からないような場合はなおさらだ。また、部下育成などは、ごく日常的な活動であり、上の立場の人から必ずしも見え易くはない。評価者である上司から見え易い行動であれば、アピールという点からも熱心に取り組み続ける可能性はあるが、そうでない場合、継続性を保つのはさらに容易ではない。</p>
<p>結局、評価制度の中で「人材像」を示すことは必須ではあるが、かといってそれだけで行動が改善されるまでは行き着かないこともまた事実だ。年一回や二回の評価のみで行動改善への継続性を維持することは難しい。あくまでも、行動改善への努力は報われるという結果として、「人材像」と評価基準とが整合性がとれていることが重要なわけであり、これ自体が改善支援となるわけではない。もし評価制度の中に、改善支援としての継続性まで担保する工夫を組み込むのであれば、評価またはレビューは年一回や二回ではなく、より頻度高く行う必要がまずある。継続的なリマインド、意識付けが必要だからだ。同時に、部下育成など必ずしも見えやすくはない行動の発揮を継続的に促し、かつ適正に評価するためには、観察者を増やすことが必要となる。周囲の皆で観察し、評価するということであり、手法としては、360度評価のような仕組みとなる。</p>
<p>評価の頻度と観察者数の増加をそのままを一つの形とするならば、「360度評価を頻度高く実施する」ということになるであろう。実際、私共の支援事例の中でも、そのような取り組みによって対象者である管理職および周囲への継続的な意識付けがなされ、行動の習慣化へ向かう例は多い。ただこの場合、人事考課そのものに使うには、評価に慣れていない人たちの評価が加わる点や、率直な評価がしづらくなる点などの課題が残る。従って、効果性を高めるためには、行動の改善という育成面に焦点を当てるべきであり、人事考課には直接的に反映させず、用いる場合にも参考とするに留める必要がある。</p>
<p><a target="top" href="http://twitter.com/home?status=RT - @HRAdvantage  http://www.hra.jp/d0000/d2000/00187.html"><img alt="この記事につぶやく
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</div>
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   <title>【コラム】第３３回　管理職が機能するためには何が必要か、評価はどうあるべきか(3/4)</title>
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   <published>2010-03-03T01:37:42Z</published>
   <updated>2010-04-27T05:44:27Z</updated>
   
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      <![CDATA[<div class="sectionh2">
<h1>「管理職が機能するためには何が必要か、評価はどうあるべきか」（3/4）</h1>
<p><b>《望ましい環境をつくるためのWHAT》<b> </b></b></p>
<p>「管理職の再教育」と切り取らずに、どうすれば管理職が機能しやすい環境がつくれるのでしょうか。WHAT（何をする必要があるか）とHOW（どのようにする必要があるか）のそれぞれの観点がありますが、今回はまず、WHATについて述べたいと思います。</p>
<p>（１）人材像</p>
<p>管理職が機能しやすい環境づくりのために、最初に行うべきは、管理職の役割をはじめ、メンバー各々の果たすべき役割を鮮明にすることである。思いのほか、この点で足踏みをするケースは多い。管理職であっても何をすればよいか分からず、会社が期待する行動が取れていないというケースは多い。一般に行動が起こらない場合の理由としては、①何をすればよいか分からない、②どのようにすればよいか分からない、③それを行う能力が身についていない、の三つがあるが、中でも①が圧倒的に多い。メンバー各々の役割を鮮明にするにあたってまず重要なことは、職場のリーダーである管理職の役割を明確にすることである。リーダーの役割が明確になれば、サブリーダー的なポジションの役割も鮮明になり、フォロワーであるメンバー一人ひとりの役割も鮮明になってくる。逆に言えば、リーダーである管理職の役割が明確にならない限り、その他のメンバーの果たすべき役割は明確にはならず、チームとしてうまく機能しない状態が続くことになる。</p>
<p>期待される役割とは、一言でいえば「人材像」ということになるが、この「人材像」の定義はそれほど簡単なことではなく、ここが一つのハードルとなる。まず、どの単位で「人材像」を括るかという点がある。次に、「人材像」を何で定義するか、知識か能力か行動か、という点がある。</p>
<p>「人材像」定義の単位については、何に優先度を置くかによって決まると言ってよい。「管理職としての基本行動」という点に重点を置くのであれば管理職全体を一つに括るということになるであろうし、「部長層と課長層の役割の違い」に重点を置く場合はその二つに括ることになる。「職種別の成果行動」に重点を置く場合は職種別の括り方となり、「理念の浸透」というような全従業員に関わる点に重点を置くのであれば全従業員が一つの単位となる。次に、「人材像」を何で定義するかであるが、これは人材育成に大きく関係するため、その観点からも重要だ。知識で「人材像」を定義すれば、「それらの知識を習得させること」が育成となり、行動で定義するならば、「そのような行動をとれるようにすること」が育成となる。管理職を対象として考える場合、主として管理職として必要な「マネジメント行動」に育成の主眼が置かれることになるため、その場合、行動で定義することが妥当性を持つことになる。</p>
<p>（２）「新しいマネジャー人材像」の紹介</p>
<p>「人材像」の定義には、以上のような難しさが伴うため、極めて重要性が高いにも関わらず、各社において明確にされていないケースも多いようだ。昨今特に、ミドルマネジャーに求められる要件が大きく変容しており、それが明確化されていないことで、「人材が育たない」、 「適正な評価ができない」、「適正な配置・昇進昇格ができない」という状況が多く起こっている。</p>
<p>人材マネジメントの“背骨”である「人材像」が揺らいでいるこの状況に対して、明確な軸の設定による普遍的体系を打ち出すことで、こうした状況を打破する第一歩となることを願い、私共では今後を見据えた<a target="blank" href="http://www.hra.jp/File/manager1016.pdf">「新しいマネジャー人材像」</a>を構築し、情報発信を行っている。当人材像は、人材マネジメントの第一人者である一橋大学大学院の守島基博教授の監修のもと、大手製造業数社からのインプットにより試案を作成し、その後、大手製造業を中心とした１２社にＷｅｂアンケートにご協力いただき、その検証結果を基に最終案としてまとめたものである。</p>
<p>戦略的方向性を示す「拡大（成長）⇔集中（利益）」、「組織全体最適⇔個々の才能の活用」の軸により、「キーマン調整」、「方針決断」、「部下タレント活用」、「特定テーマ開拓」の４つの要素が見出され、人材像を規定する 「人間軸」と「プロセス軸」が導出された。上記４つの要素ごとに行動項目を４つずつ配置し、「新しいマネジャー人材像」は計１６項目から構成している。用途は様々あるが、当人材像に基づきマネジャー各人のアセスメントをおこなうことで、各々の特徴を把握することができるとともに、育成の方向性が鮮明になる。また、自社の各部門にはどのようなタイプのマネジャーがどれくらいいるのか、またそれは事業特性とマッチしているのか等を把握、検証することが可能となる。</p>
<p>次回は、管理職が機能しやすい環境づくりのためHOWについて述べることとしたい。（つづく）</p>
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   <title>【コラム】第３２回　管理職が機能するためには何が必要か、評価はどうあるべきか(2/4)</title>
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   <published>2010-02-04T00:21:53Z</published>
   <updated>2010-04-27T05:45:10Z</updated>
   
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      <name>hra</name>
      
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      <![CDATA[<div class="sectionh2">
<h1>管理職が機能するためには何が必要か、評価はどうあるべきか(2/4)</h1>
<p>前回は、管理職の「マネジメント力低下の要因」について述べました。今回は、マネジメント力が低下せずに管理職が十分に機能している会社の特徴を探ってみることで、そうした状態をつくるうえでの条件について考えてみたいと思います。</p>
<p><b>《管理職が機能している会社とは？》</b></p>
<p>一般的には、管理職のマネジメント力の低下に危機感を募らせる会社が多い状況ではあるが、そのような中にあっても、管理職がきちんと機能している会社ももちろんある。そうした会社の管理職は、次々に来る要請に対しても吸収する余地が十分にある。むしろ新たなことを吸収するというよりも、重点の置き方を少し変えるという程度のことなのかもしれない。というのは、要請されることの多くは、実際にはきちんとマネジメントをしてさえいれば、その中に含まれていることであると考えられるからだ。</p>
<p>例えば、きちんとした倫理観のもとにマネジメントをしていれば、敢えてコンプライアンスを持ち出す必要はなく、また、部下一人ひとりの状況をつぶさに見ていれば、メンタルヘルスを持ち出すまでもなく、必要な配慮はできていることになる。ダイバーシティーにしても、一人ひとりの立場に応じて実力が十分に発揮できるような環境づくりに日々腐心しているのであれば、今さらダイバーシティーや女性活用などと声高に叫ぶ必要はない。従って、そのような会社のそのような管理職たちにとっては、次々に来る要請も、決して過剰な期待にはなっていない可能性が高い。同じ要請をしても、受け止める側がどういうレベルにあるかによって受け止め方は180度異なることになる。</p>
<p>ただ、この違いは決して管理職個人の問題には留まらないことであると思われる。管理職一人ひとりに新たな要請に対する吸収力があるかなしかということよりも、むしろチームとして吸収力があるかどうかの方がより重要であるということが、多くの組織を見ていて感じることである。諸々の要請はすべてメンバー全員に対する要請であり、チーム全体に吸収する下地がなければ、いくら管理職個人が孤軍奮闘しても望ましい状態をつくることは困難であろう。つまり、管理職がその役割を十分に果たせている場合、当人が有能であるということも去ることながら、管理職としての役割を発揮しやすい環境があるということが、忘れてはならないより重要な点であると考えられるのだ。</p>
<p><b>《管理職が機能しやすい環境とは？》</b></p>
<p>「忙しすぎてマネジメントをしている暇がない」という言葉は多く耳にするが、マネジメントがきちんと機能している会社でも管理職はもちろん多忙である。ただ、望ましい環境がある場合、管理職に過度なストレスが掛かったり、精神的に追い詰められたりということはまずない。いったいその環境とは、どのようなものであろうか。一言でいうならば、「管理職が孤立していない」ということになるであろう。管理職が孤軍奮闘しているような組織ではない。そうではなく、チーム内で先輩格の社員は後輩の面倒を当たり前のごとく見て、新人が入ってくれば皆で育成をするというようなことが自然に行われている職場である。ナンバー２に優秀な人材のいるチームは概してチーム力が高いものだが、それもこうした点の一つの表れであろうと思われる。</p>
<p>このような状態のできていない職場では、すべてのチームマネジメントを管理職が一人で行うことになる。評価者である管理職とチームメンバー全員とが一対一の関係ができているということは確かに重要ではあるが、それはすべてのメンバーの面倒を管理職一人で見るということではない。それは物理的に無理であることも多いであろうし、仮にできたとしてもそれでは結果として良い職場は形成されない。それを継続的に行うことができ、良い職場づくりもできるような優れた管理職も稀にはいるであろうが、多くの管理職にとって恒常的にできることではない。どうも経営者には、強いればそうなるとの思い込みがある場合が多いようだ。教育研修さえ提供すれば皆が皆、理想的な管理職になるとの過剰期待があるのかもしれない。しかし、それは現実と異なることは、これまでの取り組みを振り返ってみれば自明であるに違いない。</p>
<p>従って、組織力を高めるといった場合に、管理職の役割がカギになることは間違いないが、管理職個人に働きかければそういう状態ができるというわけではない。管理職を中心とした職場全体を念頭に手を打っていかなければならないという点が重要だ。この点が人事・組織マネジメントにおいて多く陥りがちな過ちとも言える。「組織力を高めなければならない→そのためには管理職のマネジメント力向上がカギである→管理職を再教育する必要がある」というロジックだ。「組織力の向上」という課題はそのままでは漠とし過ぎていて打ち手が見えてこないので、「管理職のマネジメント力向上」等のポイントの絞込みは必要であろう。しかし、その絞り込んだ目的に対する手段として、「管理職の再教育」ということで、個人の取り組みとして切り取ってしまう点に問題がある。いわば、ここで思考停止状態となり、従来から慣れている手段へと飛躍してしまうのだ。この繰り返しをしていても状況は一向に好転はしない。</p>
<p>なぜ、「管理職の再教育」では奏功しないのかはすでに述べた。管理職が孤軍奮闘してメンバーの一人ひとりに働きかけ続けることは多くの管理職にとって容易なことではないし、かといって継続性を絶てば組織力は向上しないからだ。一つの課を想定し、その課の組織力を向上させようとする場合に、課長に管理職研修を受けさせたところで、それだけで課の組織力は高まらないであろうことは経験的に理解されるところであろう。従って、管理職個人としての取り組みではなく、職場全体としての取り組みにシフトさせていかなければならない。ではどうすればよいのか、ここのところでまた思考停止になりやすいのだが、ここをブレークスルーしないかぎり、同じことの繰り返しとなり、組織力の向上に結び付かないばかりか、管理職自身のレベルアップにさえ結び付かないこととなってしまう。（つづく） </p>
<p><a target="top" href="http://twitter.com/home?status=RT - @HRAdvantage  http://www.hra.jp/d0000/d2000/00185.html"><img alt="この記事につぶやく" src="/Image/d/common/tw_button.png" /> </a></p>
</div>
<!--/sectionH2-->]]>
      
   </content>
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   <title>【コラム】第３1回　管理職が機能するためには何が必要か、評価はどうあるべきか(1/4)</title>
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   <published>2010-01-12T00:03:40Z</published>
   <updated>2010-04-27T05:45:52Z</updated>
   
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      <![CDATA[<div class="sectionh2">
<h1>管理職が機能するためには何が必要か、評価はどうあるべきか(1/4)</h1>
<p>あけましておめでとうございます。<br />
本年もよろしくお願いいたします。 </p>
<p>さて、年初らしいテーマをと思いつつ、正月休みも産労総合研究所様よりの宿題に明け暮れておりましたため、ひとまずは、そのお題についての論文を何回かに分けて掲載させていただきたいと思います。当論文は「人事実務」（2月１日号）に掲載される予定ですので、併せてご参照いただけましたら幸いです。今回のお題はというと、「管理職の役割と評価のあり方」についてです。人材マネジメントの分野においては、相当普遍的なテーマといえるでしょう。そういう意味では年初らしいと言えるかもしれません。内容的には基礎的なものですので、当コラムをご覧いただいている方々にとっては、おさらいのような位置付けになるかと思います。</p>
<font style="font-size: 14px; color: #0000ff">
<p><b>《マネジメント力低下の要因》</b></p>
</font>
<p>低成長期における組織的命題は、一言でいえば、「限られた人員数で最大の組織力を発揮する」ということになるであろう。それにあたって、管理職の役割がカギであるということはよく言われることである。これはおそらく間違いではないであろう。しかし完全な正解とも言えないと思われる。いずれにしても、昨今は管理職のマネジメント力の発揮が強く求められてきているという状況は確かにある。しかしその一方で、その点こそが逆に弱体化してきているという懸念の声がより多く聞かれる。その要因としてはまず、マネジメント力が養われてこなかった世代が、続々と管理職になってきているという事実がある。これは、人員構成上の問題ともいえる側面である。次に、より多く問題視されている点としては、管理職に要請されることが急激に増え、手が回らなくなったということがある。 </p>
<font style="font-size: 14px; color: #0000ff">
<p><b>（１）バブル世代が管理職に</b></p>
</font>
<p>現在の４０代社員の多くはバブル世代である。入社時はバブル経済只中であり、大量採用の中で比較的容易に入社したものの、その後まもなくバブルがはじけ、後輩たちがほとんど入ってこないという状態が何年も続いた。自分が配属された部署に新人が数年間配属されなかったというケースも多くあった。そのような状況では、後輩の面倒を見るという経験をしないばかりか、自分自身の仕事自体、数年間末端の業務からあまり代わり映えしないということも多くあった。通常であれば、チーム内での役割は徐々にレベルアップし、それに伴って成長もし、役割にあった自覚も徐々に芽生えていくという途を辿る。しかし、後輩が入ってこない状況が長く続くと、仕事内容もさほど変わらず、成長の機会も逸し、さらに悪いことには意識レベルも高まらず、主体性が身に付かずに指示待ちのメンタリティーのまま数年間を過ごすことになってしまう。</p>
<p>このように、マネジメントの擬似経験はもとより、後輩の面倒すら見たことのない人たちがここ数年で大量に管理職という立場となった。このこと自体、昇格審査に問題があるわけだが、運用上、年功をベースに管理職へ昇格させている会社は未だ多い。そのように昇格した人たちにとって、配属されてくる新入社員などは20歳も歳の離れた若者であり、コミュニケーションすらままならないことも多い。十分なコミュニケーションをとる自信が持てないまま、部下たちとの距離は広がり、逃げるようにしてプレーヤーに専念してしまうようなことも多くあると聞く。このように、マネジメントが機能するはるか以前のレベルに留まっている状況も一般的に多くある。</p>
<p>そもそも、経営者が管理職に期待するマネジメントとは、どのようなものであろうか。「部下一人ひとりのモチベーションを高め、持てる能力を存分に発揮させ、組織の成果を最大化させてほしい。そしてまた、その過程を通して部下を育成し、人材レベルを高めてほしい」ということになるであろうか。これらは、管理職である以上、当然求められるべき役割とも考えられるが、多くの人にとっては容易なことではないに違いない。実際に、期待と現実との乖離が大きい例は多い。管理職の人たちも、「自分自身もプレーヤーとして成果を期待されている中で、こうした役割を果たしていくことは容易なことではない」との思いは強いであろう。特に、上述したバブル世代など、そうした行動習慣が身に付いていない人たちにとっては、管理職研修を受けたくらいで短期的にできるようになるようなレベルのことではない。ただでさえ、昨今、管理職に要請されることはたいへんに多い。</p>
<font style="font-size: 14px; color: #0000ff">
<p><b>（２）増え続ける管理職への要請</b></p>
</font>
<p>ガバナンスやコンプライアンス、メンタルヘルス、ダイバーシティー、エンゲージメント等々、カタカナ用語に慣れるだけでもしんどそうな事柄の一つひとつに対して、「中心となって進めていくべきはあなた方管理職ですよ」ということになる。次から次に異なった研修が提供され、人事部門や経営企画部門、内部監査部門などから、様々な書式の提出が求められる。人によっては精神的にも相当に追い詰められ、部下のメンタルヘルスどころではないといった状態も多くあるであろう。</p>
<p>ただでさえ、人材が多様化し、マネジメントが複雑化しているという困難な状況がある。かつては、自分の部下たちは自分と同じ「新卒入社の正社員」という状況が一般的であった。それが今は、キャリア採用社員や契約社員、派遣社員など、部下も多様化してきている。入社形態や雇用形態が異なるということは、キャリア観や仕事上のモチベーションの源泉なども異なるということであり、マネジメントの複雑さは飛躍的に増すこととなる。個人個人を対象とした個別管理の状況にごく近くなる。</p>
<p>加えて、成果主義的人事ということも、マネジメントの困難さを増している一つの要因としてある。成果主義の下では一般的に、成果を適正に評価し、それを本人へフィードバックするというプロセスが必要となるが、これは熟達した管理職であってもそう簡単なことではない。そもそも成果主義以前の評価は、能力や態度など曖昧なものであり、フィードバックといっても「まあまあよく頑張っている」という程度のことを伝えれば用は足りた。実質的に評価は存在していなかったといってもよいかもしれない。それが、成果が処遇に結び付くという仕組みとなり、急に真剣勝負の場へと変わった。納得性高くフィードバックを行うということは、多くの管理職にとって自然にできるようなレベルのことでは到底ない。これを未熟な管理職に求めようというのは、相当にハードルの高いことであり、そういう覚悟のもとに十分な手を打っていく必要がある。（つづく）</p>
<p><a target="top" href="http://twitter.com/home?status=RT@HRAdvantage  http://www.hra.jp/d0000/d2000/00184.html"><img alt="この記事につぶやく" src="/Image/d/common/tw_button.png" /> </a></p>
</div>
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   <title>【コラム】第３０回　評価者教育について</title>
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   <published>2009-11-27T04:58:01Z</published>
   <updated>2010-04-27T05:47:20Z</updated>
   
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      <![CDATA[<div class="sectionh2">
<h1>評価者教育について</h1>
<p>前回と打って変わって、急に具体的なテーマとなりますが、実はこれは産労総合研究所の人事関連情報誌「企業と人材」の取材を受けて話した内容です。ここのところ弊社では、有り難いことにプロジェクトがたいへんに立て込んでおり、このコラムも滞りがちであり、最新人材マネジメント情報の方はさらに激しく滞っており、おまけにスタッフブログの方まで更新が進んでいない状況が続いています。定期的に閲覧いただいている方々には、たいへんご迷惑をお掛けしております。</p>
<p>さて、以下の内容が編集されたものは、「企業と人材」（産労総合研究所）の12月20日号に掲載される予定です。併せてご参照いただけましたら幸いです。</p>
<p>評価者研修については、近年、より積極的に取り組む企業は増えてきているように見受けられる。それは、評価の納得性が高まらないことの裏返しでもある。「評価の納得性が高まらず、従業員のモチベーションが高まらない」という場合、「問題は評価にある→評価者研修が必要である」となることが一般的に多い。しかし、まず考えなければならないことは、この論理展開、結論付けが正しいのかどうかである。</p>
<p>評価者研修が必要ないとは言わない。評価制度を正しく理解していなければ正しい評価はできないので、評価者研修はおこなわれるべきである。しかし、それだけで評価の納得性が高まるということはない。目指すべきは「正しい評価」か「納得性の高い評価」か。評価というものは、厳密に正しい評価というのはあり得ず、従業員のモチベーションから考えても、目指すべきは、「被評価者にとって納得性の高い評価」であると考えられる。</p>
<p>そう考えた場合、評価者研修だけおこなっていても目的は達成できない。評価の宿命として、上司の評価は自己評価よりも低くなって当然ということがある。誰しも自己評価は過大評価になる。たとえば、良く言われる喩えとしては、本来の結果が100であるとし、自己評価は＋25くらいであり、他者評価は－25くらいとなる。この場合そのギャップは50にもなる。結局、誰にとっても多かれ少なかれ心外な評価結果となることは間違いない。それを評価やそのフィードバックという一時点を持って納得性を得られるはずはないのだ。</p>
<p>評価結果に納得する場合というのは、何をもって納得するのであろうか。「この人が言うならしょうがない、この人は自分のことをよく分かってくれている」という思いなしには到底無理であろう。そのためには、「一期を通して観察し、対話し、支援し続けること」が不可欠である。結局、日々のマネジメントをきちんとやることなしには、評価の納得性は高められない。日々のマネジメントがきちんとできていれば、評価の時点までに、すでに納得性は確保できていることになる。逆に、それなくしては、どんなに厳密な評価をおこなっても、納得性を得ることはできない。そもそも、日々のマネジメントなくしては必要な情報も収集できず、評価をおこなうこと自体不可能である。</p>
<p>「適正な評価をおこなうことに集中するのではなく、適正な評価が可能な状況をつくることに集中すべき」ということが言える。</p>
<p>これはモチベーション理論からも説明できる。結果に対する公平性である「配分公平性」 と、プロセスに対する公平性である「手続き公平性」という考え方がある。仮に、ある一定期間の「結果」に対する公平性が損なわれても、「プロセス」における公平性が保たれていれば、モチベーションは維持されるとされている。なぜなら、プロセスを公平に進めることで、当人が、自分が認められ、尊重されているという思いが得られるからである。特に評価において重要なことは、「結果」に対する公平性を完全に担保することはできないが、「プロセス」に関しては必要なプロセスを描き、やろうと思ってやりさえすれば確実に達成することができるという点である。</p>
<p>私共は、人事施策全般において多く見られる過ちを「イベントアプローチ」と呼んでいる。「従業員が育たない、モチベーションが高まらない」といった場合に、Off-JTや評価、表彰、インセンティブ、全体ミーティング、イベントなどの単発的な機会・行事を通じて改善・改革をしようとする方法である。それぞれに意味合いはあるが、人や組織という対象は長期性の高い対象なので、より中長期的な施策との組合せでないと効果は一過性に終わってしまう。これに対し、お勧めしているのが「プロセスアプローチ」というものである。プロセスを重視し、日常の活動の中で改善・改革をしていこうとする方法である。単発で終わるものではないので、根気強い取り組みが求められるが、プロセスを改善しない限り何事も変わらないということも事実である。 </p>
<p>以上のような観点からすれば、評価者研修をおこなうことによる弊害にも気をつけておく必要がある。評価者研修をおこなうことにより、その一事に集中してしまい、それだけきちんとやればいいのだという思いから、それまでのプロセスをおざなりにしてしまう危険性がまずある。加えて、「評価者」という言葉をすり込むことで、自分は「評価を下す人」という勘違いが生まれてしまうということもある。これもプロセスではなく、結果に意識を向けてしまう一因となる。本来は「評価を下す人」ではなく「育てる人」であるべきだ。そういう観点からすれば、本来は、「評価者研修」ではなく「育成者研修」という呼び方をした方がいいのかもしれない。育成の一つの手段として、評価という行為があるという位置づけをよりクローズアップすべきである。 </p>
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<p><a title="twitterにつぶやく" target="_blank" href="http://twitter.com/?status=RT @HRAdvantage http://www.hra.jp/d0000/d2000/00183.html"><img alt="この記事につぶやく" src="/Image/d/common/tw_button.png" /> </a></p>
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