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   <title>HRアドバンテージ：コラム</title>
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   <title>【コラム】第５７回　ムードメーカーについて</title>
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   <published>2012-01-17T00:43:05Z</published>
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      <![CDATA[<div class="sectionh2">
<h1>ムードメーカーについて</h1>
<p>前回はポジティブフィーリングについて述べたが、ポジティブフィーリングを持っている人は、組織の中にあってはムードメーカーとしての重要な役割を果たす。ムードメーカーがいる組織といない組織とでは、雰囲気の面で大きな差が出る。特に、苦境に陥った時など、ムードメーカーがいるか、いないかの違いは、決定的に大きい。</p>

<p>たとえば、企業再生の際に送り込まれる「ターンアラウンドマネジャー」には、何はともあれ、ムードメーカーとしての資質が欠かせない。破綻した企業、あるいは破綻寸前の企業に“再生請負人”として送り込まれるわけなので、どん底にある社員の士気を一気に高めることがまず求められる。「空気を入れ換える能力」というような言われ方もされるが、それができるかどうかで成否が決まる。</p>

<p>チームにとって、ムードメーカーの存在は、好業績者の存在以上に大きいといっても過言ではない。好業績者が一人抜けても、一人分の業績がなくなるだけだが、ムードメーカーがいなくなれば、チームメンバー全員のモチベーションに関わり、チーム業績が大きく低下しかねない。また、職場風土が悪くなり、離職者が相次ぐ事態も起こりかねない。それくらい、ムードメーカー一人が抜けることの痛手は大きい。チームがスランプに陥った時なども、ムードメーカーの働きによりスランプからの脱出が早ければ、成果の落ち込みは少なくて済み、継続的に成果の上がる組織になりやすい。こうした点を重んじるのであれば、企業としては、ムードメーカーを発掘し、計画的に配置していくことをもっと真剣に考えてもよいのではないだろうか。</p>

<p>スポーツの世界では、ムードメーカーとしての資質はさらに大きな要素となる。「サッカー・ワールドカップ」や「ワールド・ベースボール・クラシック（ＷＢＣ）」などの世界大会へのチーム編成においては、ムードメーカー的資質を持った選手であるかどうかは、極めて大きな要素となる。実際に、注意深く見ていると、その観点が色濃く入っていることに気づく。なぜあの選手が不選出なのだろうか、と思う場合の多くはこの観点といってよいのではないだろうか。サッカーや野球はチームスポーツであり、チームのムードが重要なことは言うまでもない。また、常に短期決戦となるため、いったんムードを壊したら取り返しが付かない。</p>

<p>しかも、代表チームに選出される選手は皆、それぞれのチームに戻ればスター選手である。自分が常に主役となってプレーをし、脚光を浴びている選手たちだ。しかし、代表チームともなれば、そのような選手たちでもベンチを暖めることもある。そういう場合に、元気がなくなりチームのムードを低下させる心配のある選手は、たとえ実力が高くても選出されづらい。ましてや、先発メンバーから外れたことで、ベンチで不貞腐れてチームの雰囲気を壊すような選手は論外なのだ。</p>

<p>２００９年に開催されたＷＢＣの第二回大会において、選出確実と見られていた当時ロッテの西岡剛選手が不選出となり、同じ内野手でソフトバンクの川崎宗則選手が選出された。西岡選手は、ＷＢＣ第一回大会で３割５分５厘という高い打率を残している。五輪など国際大会の経験も豊富で実力ということでは申し分ない。あるスポーツジャーナリストは、「西岡選手は試合に出る中で調子を上げていくタイプだが、川崎選手はベンチにいてもモチベーションを保つことができ、グラウンドに出ている選手と一体となって戦えるタイプである」と分析している。</p>

<p>川崎選手は、ＷＢＣでも五輪でも常に選出されている。北京五輪の際には、星野仙一監督をして「いてもらわなければ困る選手」とまで言わしめた。実際に北京五輪では、ケガが完治せずに控えに回ったが、限られた人員の中で、積極的に用具運びなどを買って出るなどチームに献身した。いつ何時でも元気を失わないムードメーカーなのだ。その川崎選手は今年、シアトルマリナーズとマイナー契約をした。海の向こうでもムードメーカーぶりが発揮されるかに注目したい。</p>
</div>]]>
      
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   <title>【コラム】第５６回　ポジティブフィーリングについて</title>
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   <published>2011-12-13T00:19:22Z</published>
   <updated>2011-12-13T00:25:02Z</updated>
   
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      <![CDATA[<div class="sectionh2">
<h1>ポジティブフィーリングについて</h1>
<p>ポジティブな感情が支配している職場もあれば、ネガティブな感情が支配している職場もある。ポジティブな感情が支配している職場では、メンバー間の対話は多く、創造性も高く、生産性も高い状態になる。また、対話が多い場合には、人材も育ちやすい。職場を構成するメンバーが、そのような空気をつくるわけだが、その中でもやはりリーダーの存在は大きい。多くのリーダーを観察してみると、大きく分ければ、人の長所を見ることに長けている人と、人の欠点ばかりに目が向いてしまう人とに分かれるようである。</p>

<p>部下を育てられるマネジャーはもちろん前者だ。後者の場合、本人は部下を育成しているつもりでも、目についた欠点を指摘しているに過ぎないことが多い。前者のマネジャーはどうして長所を見ることができるのであろうか。一つの答えは、マネジャー自身の感情にあるようだ。「“ポジティブフィーリング”があるから人の長所に気がつく」と心理学者であり精神科医のカレン・ホーナイは言っている。ポジティブシンキングではない。考え方ではなく、感情である。</p>

<p>かつてプロ野球のオリックスで監督をしていた仰木彬氏は、ポジティブフィーリングを持ち、選手の長所を見るのに長けた監督だった。就任後、それまで二軍生活をしていたイチロー選手をすぐに一軍に抜擢して大活躍させた話は有名である。イチロー選手は、前の監督の時には、これまでの定石に合わないバッティングフォームであるというだけで否定されていた。もし仰木監督に替わっていなければ、世界のイチローは生まれなかったであろう。これまでの定石にこだわらず、良い点に目を向けることができたからこそ、イチロー選手を開花させることができたのである。</p>

<p>ポジティブフィーリングは、職場など密な関係の場において、長期に渡って良好な関係を維持するという点においても重要な役割を果たすと考えられる。密な関係にあっては、心理学用語で言うところの「近親憎悪」の状況がどうしても起こりやすい。他者の中に自分がコンプレックスを持っている点を見出してしまい、嫌悪感を抱くことだ。当初は関係が良くても、ある時から急に関係が悪化するというような場合、これが影響していることが多い。ポジティブフィーリングを保ち、他者の良い面に目が向かうような場合には、こうしたことは起こりづらくなる。なぜなら、他者の良い面を見ようとする場合、自分にはない面を捉える傾向が強いからだ。</p>

<p>小惑星探査機「はやぶさ」の奇跡的な成功に、映画化の話が殺到し、３本もの映画がこの同じ題材で製作されることになったと聞く。地球重力圏外にある天体に着陸してのサンプルを採取して持ち帰ったのは、世界初という快挙だった。プロジェクトリーダーの川口淳一郎教授は一躍時の人となったが、川口教授のインタビュー記事などを読んでいて最も印象深いのはその楽観性である。秋元康氏との対談（「文藝春秋」2011年10月）で、「トラブルの場面では普通、もっとパニックになりませんか？」と聞かれて、「まず前提として我々は幸福なんです。確かにトラブルはたくさんあるけれども、世界初の試みにおいてトラブルを抱えられる立場にいられるのがすごいこと。」と答えている。</p>

<p>著書「はやぶさ、そうまでして君は」（宝島社）の中でも、「ギリギリのミッションでも、洒落を忘れない宇宙研の文化」という節において、職場のポジティブな空気について以下のように記している。「『はやぶさ』から送られてきた小惑星イトカワの写真がラッコに似ていたので、それ以降、スタッフはイトカワのことをラッコと呼んでいた。管制室の前の壁に、イトカワの写真にラッコの目、ヒゲ、貝殻を描いた作品が張り出されたりもした。紙粘土細工のコンテストも開いた。（中略）愛称をつけたことで、現場の会話がスムーズになった。（中略）『ラッコの左わき腹のあたり』とか、『ラッコのお尻あたり』とか、イトカワの場所を伝えやすくなった。」</p>

<p>このプロジェクトは予期せぬトラブルの連続であったわけだが、中でも、通信が途絶し、３億キロ彼方の宇宙で「はやぶさ」が行方不明になるという絶体絶命の事態があった。この時の思いを川口教授は以下のように述べている。「『行方不明のときは夜も寝られなかったのではないか』、『ストレスで体調を壊さなかったか』と聞かれますが、それはありませんでした。毎日、よく寝ていたし、ストレスを感じることも、とくになかったと思います。開き直っていたわけではありません。（中略）いわばどん底の状態にいました。ということは、もうそれ以上悪くなることはないのです。だから、あれこれ悩み、恐れ、悶々としていても意味がない。最悪ということは、次に変化があるとしたら、間違いなくプラスの変化。どんなに冬が厳しくても、その先には必ず春が待っている。」 このようなポジティブフィーリングがあったからこそ、奇跡を呼び込むことができ、トラブルの連続を、奇跡の連続に変えることができたのであろう。</p>
</div>]]>
      
   </content>
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   <title>【コラム】第５５回　ユーモアについて</title>
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   <published>2011-11-08T00:09:20Z</published>
   <updated>2011-11-08T00:19:34Z</updated>
   
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      <![CDATA[<div class="sectionh2">
<h1>ユーモアについて</h1>

<p>企業における評価項目にはまず入ることはないが、職場においてたいへん重要な意味を持つ「ユーモア」について今回は述べたい。ユーモアは、場を明るくしたり、緊迫した空気を緩和したり、ストレスを軽減する効果がある。ユーモアの研究で知られる社会心理学者の上野行良氏は、ユーモアを３つに分類している。風刺やブラックユーモアなどの「攻撃的ユーモア」、ダジャレなどの言葉遊びなど内容的にはメッセージ性のない「遊戯的ユーモア」、重い問題を軽く見せる「支援的ユーモア」の３つである。ストレスへの認知的評価への影響を与えるのは、支援的ユーモアである。重要な場面でこうしたユーモアが発揮できる人は、他者への配慮ができるサービス精神旺盛な人である。</p>

<p>特に、切迫した緊張状態が続く状況の中や、敗色濃厚で意気消沈しているような状況でのユーモアは、大きな力を発揮することがある。明治初期に起こった西南戦争の末期に、西郷隆盛が言ったとされるユーモアに満ちた言葉が残っている。西南戦争も終盤、宮崎県の北端にある可愛岳で戦闘して追い詰められ、夜間密かに脱出しようと這いつくばって進軍している時に、西郷は、「夜這(よべ)ごとある（まるで夜這いに行くみたいだ）」と漏らした。夜這いとは、夜中に女性のもとに忍び込む風習のことだが、これを聞いた隊士たちは声を上げられず、笑いをかみ殺していたという。とても冗談を言えるような状況ではないが、隊士たちの極度の緊張を解こうして言ったのであろう。疲労と空腹の只中、さぞほっとする空気が流れたことであろう。　</p>

<p>医療の分野にユーモアを取り入れたパッチ・アダムスの例もある。ロビン・ウイリアムス主演で映画化されて世界的に有名になったが、笑いが身体の免疫力を高める点に着目し、愛とユーモアを根底においた医療を展開している。彼が始めたこうした活動は、遊びやコミュニケーションを通じて患者の心のケアをする、「クリニクラウン（臨床道化師）」としてオランダを中心に広がりを見せている。</p>

<p>ユーモア度の高い経営幹部は業績も高いという報告もあるが（「ユーモアのセンスはエグゼクティブの条件」Diamond Harvard Business Review 2004年）、米サウスウエスト航空（以下、ＳＷＡ）では、ユーモアを重視した経営を行っていることで有名だ。まず同社では、ユーモアが感じられない人は採用されない。乗客に空の旅を楽しんでもらうことを従業員に推奨しており、パイロットがアナウンスでジョークを飛ばすのは序の口で、客室乗務員が客室上部の荷物入れから突然顔を出して乗客をびっくりさせるなどのパフォーマンスをしたり、到着したときのアナウンスの際にアカペラで一曲歌うなどというようなこともあるそうだ。日本の航空会社ではちょっと考えられないであろう。ユーモア好きのアメリカならではともいえるかもしれない。</p>

<p>チームワークが良くお互いに助け合い、顧客に対してもいろいろ楽しませる行動をとり、お互いに楽しんで仕事をするという特徴がＳＷＡにはある。企業理念として、「従業員の満足度第一主義」を掲げえており、９８年には、Fortune誌の「働きがいのあるアメリカ企業ザ・ベスト１００」では、ＳＷＡは１位にランクされた。平均的な離職率が２０～３０％という航空産業の中にあって、同社の離職率は一貫して５％未満である。</p>

<p>このような結果として、業績は好調を維持している。2001年に起きたアメリカ同時多発テロ後に他の米大手６社の航空会社はいずれも１万人から２万人という大幅な人員削減を行ったが、ＳＷＡは唯一、一人のレイオフも行っていない。また、乗客の死亡事故は創立以来一度も発生していない。苦情件数も他の米大手６社の航空会社よりも格段に少なく、ほとんどゼロに近い数値となっている。格安運賃で運行しているため、他の航空会社よりも過密なフライトスケジュールになっており、従業員の勤務形態もハードなものになっているにも関わらず、高い顧客満足度を維持しているのだ。</p>

<p>採用にあたっては、採用基準のトップに「ユーモア」という項目がある。例えば、「最近、あなたが仕事中にユーモアのセンスを発揮した体験を話してください」、「ユーモアで急場をしのいだ経験は？」と面接の時には必ずこのような質問が出る。いかに子供の頃から人を喜ばせるのが好きだったかも面接で聞いてくる。また、面接で「私は」とたくさん口にすると、自己中心型とみなされ、不採用となる。</p>

<p>相手の立場を考える社交的な人や、組織の中で周りの人と協調できる人を積極的に採用する。他人への思いやりを調べるために、面接官は発表者以外にも注目する。たとえば、応募者に５分間で自分を紹介するという課題を与え、十分な準備時間を与える。応募者が話をしているとき、面接官は話し手だけを観察しているのではなく、他の応募者のうち、その時間を使って自分の話を準備しているのは誰か、将来同僚になるかもしれない話し手を熱心に応援しているのは誰かを見ている。チームメイトを応援しようとしている思いやりのある人間がＳＷＡの目に留まるのである。</p>
</div>]]>
      
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   <title>【コラム】第５４回　なぜ評価制度はかくも不人気なのか？</title>
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   <published>2011-10-11T02:14:30Z</published>
   <updated>2011-11-08T00:18:05Z</updated>
   
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      <![CDATA[<div class="sectionh2">
<h1>なぜ評価制度はかくも不人気なのか？</h1>
<p>いずれの企業でも、評価に対する不満の声は多い。表立って、声高に、不満の声をあげる人は多くはいないかもしれない。しかし、アンケート調査などをすれば、軒並み不満の大合唱が聞こえるようだ。企業内で行う意識調査などでもそうだが、一般的な調査データを見ても顕著に表われている。<p/>

<p>独立行政法人労働政策研究・研修機構が平成２０年に発表した、「３年前と比べた仕事に対する意欲の変化とその要因」についての調査結果によると、企業と従業員の間で大きな認識のギャップがあることが分かる。<p/>

<p>働く意欲が「高くなった」と回答した企業に、「意欲を高めるために実行した施策」を聞いたところ、「社員の納得性を確保した評価制度」という回答が上位に入っており、全体の３１．５％の企業がそう回答している。一方、従業員の側に、「意欲が高まった理由」を聞いたところ、「評価の納得性が確保されているから」との回答は２０項目中１２番目であり、１０．９％に過ぎなかった。<br />
反対に、「意欲が低くなった」と回答した人にその理由を聞いたところ、「評価の納得性が確保されていないから」が３５．６％で２０項目中３番目となった。「賃金の低さ」、「達成感の欠如」に次いで多くの人が理由として挙げている。<p/>

<p>また、企業の側に、「働く意欲を高めるために有効だと思う施策」を聞いたところ、「社員の納得性を確保した評価制度」が、「コミュニケーションの円滑化」や「賃金の引き上げ」を抑えてダントツでの一位という結果となった。全体の６０．４％の企業がそう回答しており、唯一過半数の回答を得る項目となっている。<br />
ただし、評価制度運用上の課題については、「評価者によって社員の評価にばらつきが生じること」を挙げている企業が全体の７１．３％にのぼった。<p/>

<p>この調査では、「納得性のある評価制度」は従業員の意欲を高めるうえで最重要の項目であり、実際に意欲を高めるうえで役立っていると企業が考えている一方で、従業員の側では逆に、「評価の納得性の欠如」が、意欲低下の大きな要因になっているという皮肉な結果となった。評価が従業員のモチベーション上、重要な位置を占めることは間違いないが、納得性を確保することは容易ではなく、確保できなかった場合のネガティブなインパクトは甚大であることが伺える。そして、最も難しい点として、企業の側でも十分に認識しているとおり、「評価者による評価のばらつき」という問題があることが分かる。<p/>

<p>そもそも、他人に評価されるということ自体、面白くないことに違いない。誰もが満足する結果などありえず、ほとんどの人が自己評価よりも低い評価が与えられるわけだから当然といえる。自己評価は実力よりも２５％高く、他者による評価は２５％低いと一般的に言われる。これだけでも５０％もの開きが出る。そういう評価を突きつけられるわけだから、不満をもっても仕方がない。<p/>

<p>評価に対する不満の多さは、評価の仕組みや運用上の問題にも起因している。一般的に企業の中では、評価については厳密性を重んじるばかりに、仕組みの精緻化へと突き進む傾向が強く見られる。しかし、完璧な評価などないわけなので、いくら精緻な方向を強めても、公平性や納得感が高まることはまず期待できない。かえって、それらを削ぐことにもなりかねない。<p/>

<p>人事として、「厳密な評価」であるという点を社員に対して訴求してしまえば、結果としてかえって不満につながるケースが多い。ミスリードということになる。そうした方向ではなく、きちんとした手順を踏んで評価は行われているといった、「プロセスの公平性」の面を強調し、納得感を醸成するのが正しい方向といえる。つまり、「厳密性」という訴求は社員の注意を評価の仕組みに向かわせ、「公平性」という訴求はプロセスに向かわせる。こうした点に重きを置くのであれば、３６０度評価なども一つだが、評価の方法には本来もっといろんな工夫が考えられて然るべきと思われる。<p/>
<br />

</div>]]>
      
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   <title>【コラム】第５３回　若者の出世欲は本当に減退したのか？</title>
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   <published>2011-09-13T00:07:55Z</published>
   <updated>2011-09-13T01:53:11Z</updated>
   
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      <![CDATA[<div class="sectionh2">
<h1>若者の出世欲は本当に減退したのか？</h1>
<p>「最近の若者は出世欲がない」とよく言われる。この言説の一つの根拠となっているのはどうやら、数年前のある調査結果の報道にあるようだ。「高校生意欲調査『出世意欲』、日本は断トツ最下位」（2007年4月24日　毎日新聞）などだ。これは、財団法人日本青少年研究所による「高校生の意欲に関する調査―日米中韓の比較」の調査結果に基づくものだが、「偉くなりたいか」という問いに対して、「強くそう思う」と答えた高校生の割合が、中国34.4％、韓国22.9％、米国22.3％に対して、日本は8.0％であったことを受けてのものだ。
</p>

<p>しかし、これをもって出世欲がないと断定して果たしてよいものだろうか。上のような質問に対して、「強くそう思う」と答えるのは、日本人の中では稀ではないかと思われるからだ。個人の意見を明確に表明する傾向の強いアメリカ人や中国人ですら、２０数％～３０数％という数字だ。日本人の場合は、出世欲を持ってはいても、敢えて誇示しないというのが通例であろう。また、「偉くなりたいか」と問われた場合、どういう人を偉いとイメージするかにも拠るであろうし、偉くなるという明確なイメージがない場合なども、「強くそう思う」とは答えづらいのではないだろうかと思われる。</p>

<p>筆者は大手企業の若手社員と接する機会は多いが、出世したくないと思っている人はほとんど例外的であるように思う。むしろ、同期の中でもできるだけ早く昇進したいと思っていて普通だ。それは組織人として極めて自然なことに違いない。そうでないならば、そもそも大きな組織に就職するということ自体とも矛盾する。中には趣味に生きるうえで、仕事は最低限との割り切りのある人もいるかもしれない。個展を開くくらいの腕前の画家で、でもそれだけでは生計が立たないのでサラリーマンをやりながら絵を描いているという人に会ったこともある。しかし、いずれにしてもごく少数派だ。</p>

<p>他の調査結果を見ると、決して若者の出世欲は低くはない。産業能率大学が毎年新入社員を対象に実施している調査では、将来の進路として、「管理職として指揮を執る」が過去最高を更新した。昨年度にはじめて、“管理職志向”が“専門職志向”を上回り、今年度は“管理職志向”がさらに強まり48.1%となった。専門職か管理職かという選択肢においても、半数近くの新入社員が管理職を望んでいるという結果となったわけだ。（「2011年度新入社員の会社生活調査」産能大学より）</p>

<p>また別の調査結果を見ても、同様の意識が反映されていた。一般企業に就職が決まった大学・大学院卒業予定者に対して、理想と自信を聞いた調査では、「仕事をするからには、少しでも上のポジションに昇進・出世する」に対して、理想との回答が６３．０％、自信については３８．５％であった。現実にどうかとなると大きく比率は落ちるが、希望としては過半数を大きく超えている。同様に、「同期のなかで誰よりも早く管理職に就く」については、理想４４．０％、自信３０．５％との結果であった。（「新入社員の理想と自信」ヤフーバリューインサイトより）</p>

<p>上の調査ではいずれも、「自信」については30％台と低い数字になっているが、ではいったい、どのような人が出世するのであろうか。米AT & T社が行った有名な数十年に及ぶ追跡調査がある。入社した社員の能力や価値観、行動特性等をありとあらゆる方法で測定し、その人がその後どのようなキャリアをたどったかを見たものだ。この調査の結果、非常に面白いことがわかった。社内で出世した人は、出世したいという気持ちが強かった人だった。能力や行動特性等々、様々な側面を測定したが、最も関係していた要素は、その人がどうなりたいと思っていたかという点だったのだ。</p>

<p>こういう点からすると、冒頭で紹介した日本青少年研究所が行なった調査のうち、最新（2011年）の調査結果の中で、ある項目がむしろ心配になる。自己肯定感に関する項目だ。「私は価値のある人間だと思う」に対して、「全くそうだ」と答えた比率が、米国57.2％、中国42.2％、韓国20.2％、日本7.5％。次に、「自分を肯定的に評価するほう」に対しては、米国41.2％、中国38.0％、韓国18.9％、日本6.2％。「自分が優秀だと思う」が、米国58.3％、中国25.7％、韓国10.3％、日本4.3％という結果だった。このような自己評価であっては、将来に対して希望を持って生きていくことは困難なのではないかと危惧せざるを得ない。少なくとも、「偉くなりたいか」に対する8.0％よりも、「私は価値のある人間だと思う」の7.5％の方が、はるかに強い危機感を持って受け止めるべき結果ではないだろうか。</p>




</div>]]>
      
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   <title>【コラム】第５２回　心の時代の「三種の神器」</title>
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   <published>2011-07-29T01:55:34Z</published>
   <updated>2011-07-29T05:52:14Z</updated>
   
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      <![CDATA[<div class="sectionh2">
<h1>心の時代の「三種の神器」</h1>
<p>かつて高度成長期の頃には、「白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫」の３つの電化製品を指して、「三種の神器」と称された。１９５０年代後半のことである。その後、１９６０年代のいざなぎ景気の時代には、「新・三種の神器」というものも生まれた。「カラーテレビ、クーラー、自動車」の３つで、３Ｃと言われた。<br />
<br />
これらはいずれも、新しい消費習慣を表わすマスコミ主導のキャッチコピーであったが、その時代の物質的欲求にぴったりとフィットしたためであろう、言葉としてたいへんに普及し、浸透した。これらはほとんど例外なく、誰もが求め、そして手に入れていったと言ってもよいであろう。「三種の神器」と命名されずとも、時代と共に普及した製品であったに違いないが、「三種の神器」ともてはやされたことによって、横並び意識も煽り、先を競い合うようにして、より早くに普及したということはあるであろう。<br />
<br />
今の時代は、このような物質的欲求のない時代なので、上記のようなものは残念ながら存在しない。少し前に、小泉純一郎元首相が施政方針演説の中で、「食器洗い乾燥機・薄型テレビ・カメラ付携帯電話」を「新三種の神器」と命名し、「欲しいものがないといわれる現在でも、新しい時代をとらえた商品の売れ行きは伸びている」と述べたが、まったく定着はしなかった。決して必需品ではないし、欲しい人もいれば欲しくない人もいるという物であり、人々の感覚と合致しなかったためであろう。<br />
<br />
欲しい物がないどころか、ロハス的な生き方を志向する人も増えているくらいなので、そうした分かりやすいキャッチコピーで消費を煽るのはもはや無理なのであろう。ただ、かつての「三種の神器」は豊かさや憧れの象徴でもあり、それらを手に入れることで幸福感も感じられたことから考えると、今の時代はそうした身近な夢がなくなったともいえる。なんとなく寂寞感を感じなくもない。目指したい憧れがなく、分かりやすい幸福感は得られづらい時代となったといえるかもしれない。<br />
<br />
今の時代は、バブル期あたりまでの「物の時代」との対比でいえば、「心の時代」ということになるであろう。物質的にはもはや満足感は得られず、精神的な満足の重要性が増している時代だ。何かを手に入れた時の満足感のような、分かりやすいものではない。むしろ、ライフスタイルなどのプロセスに宿る満足感といえるであろう。なかなか捉えづらく、言語化がしづらい。それゆえ、そういう状態を目指そうという風には、なかなかなりづらい。今の時代はとかく先が見えづらく混沌としており、人々の笑顔が少なくなっているように思えるのも、そうした事情と関連があるのかもしれない。<br />
<br />
鮮明にイメージできないものは目指すことができない。目指そうと思うためには、その状態をイメージできることが必要であり、イメージするためには言葉で表わすことが先決だ。ゆえに、少々無理を承知で、敢えて「心の時代」の「三種の神器」というものを考えてみたい。まず、「物の時代」ではないから、掲げる３つのものは「物」ではない。達成されるべき状態や感覚ということになる。次に、かつての「三種の神器」の共通項から、その条件を見出してみると、以下のようなことが言えそうである。<br />
・普通の人が普通に努力すれば手が届く<br />
・日々の生活に大きな影響を及ぼす（手に入れることによって日々の生活が豊かになる）<br />
・家族と夢を共有できる（身近な人を喜ばせることができる）<br />
<br />
こうした条件が揃ってはじめて、頑張ってそこを目指そうと思えるということであろう。まず最も重要と考えられるのが一点目だ。達成できると思わないものにはモチベーションは湧かない。ほんの一握りの才能に恵まれた人だけが達成できるようなものであっては、多くの人が目指そうとは思わない。同様に、尋常ならざる努力を続けなければ手が届かないものであっては、やはり意欲は湧かない。大多数の人が普通に努力すれば届く、ということが最初の条件となる。<br />
<br />
物質的な豊かさは基本的にプライベートでのこととなるが、精神的な豊かさは普段身を置く場において感じるものとなる。一度手に入れれば終わりではなく、継続的に続くものだ。日々の生活の中で主として身を置く場は、社会人であれば「職場」と「家庭」である。その他、趣味や交友関係の場があったとしても、それらはあくまでも付加的なものであり、主たる場が充実しなければ、精神的な豊かさは得られようがない。<br />
<br />
職場において精神的な豊かさを感じるためには、まず「人間関係」の良好さは必須だが、それだけでは充実感までは得られない。組織に属している以上、その組織に貢献する責務がある。組織の役に立つことができるという自信、いわば「自己効力感」を感じられることが重要となる。達成感がなくても生きていけるが、役立ち感がなければ生きていけない、と言うのは言い過ぎだろうか。<br />
<br />
以上のような観点から、「心の時代」の「三種の神器」を捉えてみるならば、<br />
・職場での良好な人間関係<br />
・仕事における自己効力感<br />
・家族との良好な関係<br />
と定義づけられそうである。<br />
ただし、誰もが家庭を持ち、会社組織に属すという生き方を選択するわけではない。それぞれ独自の生き方が増加傾向にあるように、価値観の多様化が進む中にあっては、共通性を括ろうとすること自体が間違いなのかもしれない、という思いも付け加えておかなければならない。<br />
<br />
</p>
</div>]]>
      
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   <title>【コラム】第５１回　「インタラクションビオトープ」としての職場</title>
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   <published>2011-06-30T01:19:20Z</published>
   <updated>2011-07-29T02:09:49Z</updated>
   
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      <![CDATA[<div class="sectionh2">
<h1>「インタラクションビオトープ」としての職場</h1>
<p>私共の研究の主たる対象は組織であるが、組織とはいわく言い難く、深遠なものである。一人と二人、三人以上とでは、個人の考えも行動もまったく異なる。ドイツの社会学者ジンメルは、「二者関係」と「三者関係」とでは、その関係の質がまったく異なってくるという。二者が三者になると、「あの人」と「私たち」、「私」と「あの人たち」という関係が生じる。これをジンメルは「分離による結合」といい、大都市の日常生活にも見られるという。皆が一定の無関心（分離）を維持する限りにおいては、むしろ他人との結合が可能となるという。<br />
<br />
職場の中ではどうであろうか。ほとんどの場合、自分と相性の良い特定の相手とは親密な関係を築く一方で、そうでない多くの人とは表面的な関係を維持するということで成り立っている。職場とは共通の目的のもとに組織化された、限定された数の集団であるから、大都市の場合のような相互無関心では成立し得ない。ところが、職場においても似たような状況、つまり「分離」が進みつつある状況が多く発生しているようだ。<br />
<br />
このような状況になってくると、様々な問題が連鎖的に噴出してくる。人が育たない、新しいものが生まれない、モチベーションが高まらない、離職が増える、メンタル疾患が生じる等々。組織上の問題のほとんどは同根といってよい。すべては職場の弱体化が招くものだ。ゆえに、職場が健全でありさえすれば、すべての問題を根絶やしにすることができる。<br />
<br />
職場の弱体化とは何を意味するのか？端的に言えば、ジンメルがいうところの「分離」ということになる。個と個の結びつきが希薄になること。周囲の他者との関わり合いが少なくなること。もっと言えば、他者に関心を持たなくなる現象といえる。ではなぜ、このような状況が多く起こるようになったのであろうか。よく言えば、ＩＴ化の進展のおかげで、単独でおこなえる仕事が増えたということになる。他者を介さなくても必要な情報を得ることができ、直接対話せずともネット上でリアルタイムでの意見交換もできる。<br />
<br />
一方、他者に積極的に関わる行為とは、いわばフィードバックである。気づいた点、気になった点を伝える。最近では新入社員ですら、メンターなどの教育係に任せ切りで他の人たちは無関心という状況も多いようだが、それでも、新入社員のうちはいろいろなフィードバックを受ける機会には恵まれる。口うるさい上司はある意味ありがたい存在である。入社して数年が経ち、ある業務の担当にでもなれば、得られるフィードバックはぐんと少なくなる。ましてや、マネジャーにもなれば、よほどお節介な同僚でもいないかぎり、誰もフィードバックなど得られなくなる。このような状況になってくると、事前にミスが発見されることもなくなり、新しいことが生まれることもなくなる。　<br />
<br />
スポーツの世界を見てみると、フィードバックはごく当たり前であり、日々普通におこなわれている。コーチが選手一人ひとりの動きを見て、その場で必要なアドバイスをする。それを何度も何度も繰り返す。なぜ、このように当たり前なのか？まず、それぞれの役割や責任がはっきりしているという点が挙げられる。選手はもちろん結果がすべてであり、処遇に直結する。コーチも、プレーヤーに結果を出してもらわなければ早晩用無しになる。互いに真剣勝負なのだ。また、フィードバックのしやすさもあるであろう。体の動きは直に見て取ることができ、それゆえ具体的なアドバイスが可能となる。その結果も比較的短期的に表われる。<br />
<br />
ビジネスの現場では、プレイングなしでコーチ役に専念できるマネジャーは少ないであろうが、全体の時間の１割や２割という時間を区切ってのコーチ専念は可能なはずだ。多くの企業において、部下の成長が思わしくなくても、取り立てて上司の責任が問われたりするわけではないのは疑問である。思わしい成長が見られなければ、育成責任のある上司の処遇にも関わるのは当然ではないだろうか。部下を育てられる上司が厚く評価され、昇進していくということは極めて真っ当なことである。そうすることによって組織力は強化されていくことになる。こうした、いわば徳の側面よりも、功（業績）を重視した人事が繰り返されることによって組織は弱体化するのである。<br />
<br />
ビジネスの現場では、改善課題がスポーツのように分かりやすくは把握されない。また、行動改善の結果も短期的には表われづらい。しかし、部下の一人ひとりをつぶさに観察し、対話すれば、課題は把握できるであろう。その結果もすぐには出なくとも、注意深く見守れば、何らかの小さな変化は必ず見て取れるはずだ。フィードバックとは気づいた点を伝えることであるから、まずは気づかなければならない。その感度を高めることが、フィードバックの第一歩といえる。<br />
<br />
フィードバック文化を根付かせる鍵はまさにこうした点にある。部下の一人ひとりに十分な関心を持ってつぶさに観察し、フィードバックする。そしてまた小さな変化を見つけてフィードバックする。カッコいいアドバイスは必要ない。コーチングスキルなどもなくてもいい。しっかり観察し、見て取ったことをフィードバックするだけでいい。これを継続していけば必ず互いの成長につながり、またこうした行動特性が職場全体へ広がれば、気づいた点を率直にフィードバックし合う環境ができ、組織の文化が形成される。<br />
<br />
職場の中で互いに啓発し合い、対話し、意見をぶつけ合い、共に成長する。そうした中で、より良いやり方をみつけ、生産性を高め、新しいものも生み出す。職場の中での交流が活発化することによって、個々のレベルが高まるとともに、職場全体のレベルも高まる。もちろん、こうした状況に近づけば、諸々の組織上の問題はすっかり鳴りを潜めることになる。職場とは本来こうした環境を皆が一丸となって維持、保全すべき場である。交流生息域とでもいおうか、「インタラクションビオトープ」としての職場を目指したいものである。<br />
<br />
</p>
</div>]]>
      
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   <title>【コラム】第５０回　「職を失う」ということ</title>
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   <published>2011-05-31T00:32:28Z</published>
   <updated>2011-05-31T00:36:35Z</updated>
   
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      <![CDATA[<div class="sectionh2">
<h1>「職を失う」ということ</h1>
<p>東日本大震災と福島第一原発事故による避難者数が１０万人を切ったと警察庁から発表があった（ただし、総務省消防庁がまとめた避難者数は１５８７３８人）。県外避難はなお増加傾向にあるという。発生から２ヶ月以上経って、未だこういう数である。当事者たちの憤りはいかほどのものか。<br />
<br />
筆者の実家のある栃木県の宇都宮市も、ささやかながら被災した。とはいえ、家の中の物が割れる、壊れる等はどうということなく、塀が崩れる、屋根が崩れる等も、怪我人さえ出なければ大したことはない。家を失い、職を失った人たちでさえ、命を失ったり、家族を失った人たちのことを思い、３ヶ月近くもの長きに渡り、避難所でじっと耐えているのだ。<br />
<br />
まずは住まいを確保することであるが、次に職である。同じ土地で職を見つけることは、容易ではないであろう。生活をしていく糧を得る手段として、職を得ることはまず重要だが、それだけではない。精神的な意味においても極めて重要だ。「職を失う」には二つの意味がある。「仕事を失う」ことと、「職場を失う」こと。<br />
<br />
仕事はあるのが当たり前の状況に慣れてしまえば、その意味を考えることはなくなってしまいがちである。しかし、仕事を失ったり、仕事ができない状況に遭遇した人たちは皆、口を揃えてその喪失感について語る。他の回でも述べたが、「金銭的にまったく生活に困らない状況であったなら、仕事を辞めますか、それとも続けますか」という質問をセミナー等でした場合の回答のおよそ９割は、「続ける」という答えであった。その主な理由は、自分の存在意義の確認、社会との接点の確保、成長、達成感・充実感などである。<br />
<br />
自分の存在意義の確認というのは、｢役に立ちたい｣という思いとつながる。人は誰しも、誰かの役に立ちたいという思いとともに、誰かに認められたい存在でもある。こうしたことは、仕事の場をおいて他にはなかなか得られるものではない。世のため人のためという生き方は、自分の精神的な健康にとっても望ましいことであると、「夜と霧」などの著作をもつ心理学者のヴィクトール・フランクルをはじめ、幾人かの心理学者は指摘している。<br />
<br />
社会に貢献したい、誰かのために役に立ちたいといっても、一人では大したことはできないのは皆同じだ。どんな生産物でも、たくさんの人たちがいてはじめて、生産され、運搬され、販売され、消費者の手に渡る。どんなに高度な専門家であっても、組織に属さなければその専門性を発揮することすらできないことがほとんどだ。組織があってはじめて自分の強みが活かされ、社会に貢献できる。<br />
<br />
同時に、職場は一つの重要な居場所であり、コミュニティーでもある。いくつかの役割があって初めて、人間らしい生活が可能となる。つまり、単なる生物学的個人ではなく「社会的」個人として、存在することができる。家族の中での役割、地域社会での役割、職場での役割。会社勤めの場合には、良くも悪くも職場で過ごす時間が圧倒的に多く、そこにおける役割を中心に生きてきたはずだ。<br />
<br />
それがある日突然になくなる。定年退職の場合など、十分な時間と心理的な準備があってもなお、喪失感を覚えるくらいだから、何の準備もなく突然訪れたら、言い尽くせぬ感覚に苛まれるに違いない。当面は、被災地の各自治体における期間限定での復興関連の仕事が中心となるであろう。しかし、復興予算は１０兆円を超えるはずだから、この多くが被災地に落ち、被災者の雇用を全面的に後押しすることを願うばかりだ。<br />
<br />
先に引用したヴィクトール・フランクルは、「私は人生になにを期待できるか」を問うのではなく、「人生は私になにを期待しているのか」を問うべきだという。私たちは人生に問われている存在なのである、と。<br />
<br />
</p>
</div>]]>
      
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   <title>【コラム】第４９回　評判のいい人（補論）</title>
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   <published>2011-04-11T00:24:52Z</published>
   <updated>2011-05-31T00:30:00Z</updated>
   
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      <![CDATA[<div class="sectionh2">
<h1>評判のいい人（補論）</h1>
<p>前回の最後に、「評判とは、ある人が別の人に対して下した判断あるいは評価そのものではない。それらが、それ以外の第三者に伝えられてはじめて評判となる。それゆえ、その人物について他者に伝えたいという誘因が湧かなければ評判は形成されないという特徴がある」と述べた。今回、この点に関する若干の補足を述べて、当テーマを終ることとしたい。<br />
<br />
「評判」には上記のような特性があるため、良い評判よりも悪い評判の方が伝わりやすいということになるのであろう。「陰口」というのは、当人がいない所でその悪口を言うことだが、これは日常茶飯事どこにでもあることだ。一方、当人がいない所でその優れた点について話されるということは、残念ながらそう多くあることではない。人は誰しも自尊心を持っている。他人を下に見た方が自尊心は満たされる。よって、話す方も、それを聞く方も、前者の場合の方が欲求が満たされることになる。こうした、本能的インセンティブとでも言えばよいのだろうか、これが後者の場合には働かない。むしろそれに反することになる。よって、悪い評判はすぐにできても、良い評判をつくるのはなかなか難しい。<br />
<br />
では、頼まれなくても、ある人に対する良い点を口にするのは、どのような場合であろうか。一つには、その人に人徳があり、人間性に感服せざるを得ない場合だが、これは立場が近い関係においてはそう多くあるケースではないであろう。より多くあり得るケースとしては、その存在がありがたい場合である。過去において何らか助けてもらったとか、現在、その者がいることによって助かっているというような場合だ。助かるといっても、実利的に助かるという場合だけではない。一緒に働いていて“楽しい”というような場合も同様だ。「○○さんって、どう？」と聞かれて、その人のことを思い出すと思わず笑顔になってしまうような、そうした人柄は常に貴重だ。<br />
<br />
人柄などが人材の競争力というのも客観性が薄いように感じられるかもしれない。しかし、専門性やスキルよりもむしろ模倣されづらい差別化要因ともいえる。これは、組織において戦略や技術は模倣できても、組織風土は模倣できないことに似ている。キャリア採用をする場合、個人の専門性を期待してという側面は当然あるが、それだけでは採用には至らない。必要条件でしかないからだ。かつての経済成長期のように企業に余裕がある状況の中では、一つの強みがあるというだけでも、その面での貢献を期待して雇用するということはあったかもしれないが、余裕のない雇用状況の中にあっては、単に強みがあるだけでは採用には至らない。一緒に働きたいと思える人柄があってこそ、採用に辿り着けるのだ。「周囲を動機づける力」があると採用責任者が見た場合には、十分条件が満たされ即採用となる。<br />
<br />
こうしたことは、何も採用の時だけの差別化要因ではない。社内においても、こうした点が重要な局面での決定要因となることは多い。たとえば、よくある悪い評判の最たるものとして、「人望がない」というものがある。こうした評判が立ってしまえば、もうその者のリーダー的ポジションへの登用は絶望的になる。こういうことで人事が決まっていく慣行を必ずしも良いとは思わないが、人事考課結果等よりもはるかにパワフルな影響力を持つことが多いのが現実だ。たとえば、抜擢人事を考えているある役員が「A君はどうかね？」と部門長に問うたとし、それに対する返答が「A君はたいへん優秀ですが、残念ながら人望がありません」だったとしたら、それまでだ。「ではB君はどうかね？」に対して、「B君は際立って優秀ではありませんが、周囲の人をやる気にさせることができます」との返答であったなら、これで確実にB君に決まる。なぜなら、リーダー的素養云々以前に、誰もがB君のような人柄に好感を持つからだ。<br />
<br />
では、どのようにして良い評判は築かれるのかといえば、日々のおこないの積み重ねでしかない。一つの大きな成果によって評判は形成されるものではない。仮にいくつかの大きな成果を挙げることができたとしても、日々のおこないにおいて非協調的な印象を与えてしまえば、好ましい評判が築かれることはない。どれほど些細な行為であろうと、その一つひとつが評判を形づくる。しかし、いったん良い評判ができてしまえば、それが自ずと強化されていくという側面もある。良い評判の立っている人にはさらに良い評判が集まるという傾向がある。なぜなら、評判の良い人には多くの応援団が付いているようなもので、それに反する主張をした場合には多くの敵をつくるようなものだからだ。<br />
<br />
次に、良い評判をつくることができたとし、それを維持することはまた難しい。継続的な努力が必要になる。一つの大きな成果で良い評判はできないが、一つの不誠実な行為だけで良い評判は十分に崩壊し得るからだ。アダムスミスによると、当時の一番の商業国はオランダであり、オランダ人が一番義理堅く約束を守ると観察している。なぜなら、取引の量が多いと、評判に少しでも傷がついたら大きな損失につながることを自覚していたからだ。一人ひとりの評判についても同じことがいえる。不誠実な行為一つでせっかくの良い評判も台無しになるのだ。<br />
<br />
以上、なぜ評判ということについて述べてきたかといえば、評判に配慮して仕事をしていくという在り方が望ましいと思うからである。周囲の目を気にし過ぎるのもどうかとは思うが、昨今は周囲への気遣いということがあまりにも欠けがちな風潮にあるように思われるため、こうしたことを各人が強く意識するくらいでちょうどよいのではないかと思われるのだ。以前にも述べたとおり、評判に配慮するということは、周囲へ配慮することにつながり、また、短期的な実績よりも長期的な貢献を志向していくことにつながる。誰もがこうした点を念頭に置いていれば、職場の人間関係は自ずと良くなるはずであり、職場の生産性は高まるに違いない。<br />
<br />
</p>
</div>]]>
      
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   <title>【コラム】第４８回　評判のいい人（2/2）</title>
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   <published>2011-03-09T00:02:38Z</published>
   <updated>2011-03-10T04:34:46Z</updated>
   
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      <![CDATA[<div class="sectionh2">
<h1>評判のいい人（2/2）</h1>
<p>業種柄でしょうか、年度末へ向けてのこの時期は業務多忙期にて、当コラムをはじめ各コンテンツの更新が滞りがちでよくありません。（つづく）としておきながら１ヶ月も間が空いたのでは、ご閲覧頂いている方々に失礼至極です。反省をしつつ、ようやくではありますが、そのつづきについて述べてまいりたいと思います。</p>
<p>前回は、評判のいい人とそうでない人との違いについて述べたうえで、「はたして、どういう点がこれほどまでに大きな違いを生んでいるのであろうか？」というところで結んだ。評判のいい人は、一般的にバランスがいいとか、安定感があるとかというように映る。逆に、評判の芳しくない人は、バランスが悪い、安定感がないと感じられる。いわば、偏った感じがあるということだ。</p>
<p>この偏った感じというのは、どういう点によってそうした印象になるのであろうか。こだわりの強さということは、一つにはあるだろう。しかし、それ自体は悪いことではない。評判のいい人の中にもこだわりが強い人はもちろんいる。むしろそうした人の方が多い。ただし、それらの人たちの場合、他も見えているという点が違うのであろう。他者の関心事にも目を向ける余裕があるのだ。</p>
<p>そうでない人は、どこか余裕のなさがある。潜在的にだとしても、突かれると困る点がある。そこを繕っている。前回、質問に対する答えが常に逸れていくという例を挙げたが、これも自分で明確に見えている点についてのみ繰り返し語ろうとするからであると考えられる。主張に疑問を挟まれることを嫌う。ましてや反論されることなどは極度に怖れる。言い方を替えると、自分のこだわりについての理解や共感を他者にも求めているともいえるであろう。</p>
<p>一方で、すべてさらけ出せる人がいる。そうした人は何を聞かれても怖れはない。「いろいろな考え方があると思いますが、自分はこういう経験を通して、現状こうした考えに至っています」というように、たいへんニュートラルに意見を表明する。自分の考えが唯一絶対とは毛頭思っていないし、自分の考えすら今後変わり得るとも思っている。単に柔軟なのではない。野中郁次郎先生の言われるところの、「しなやかさ」を備えている人だ。</p>

<p>この違いについては、視野の広さや大局観、寛容さ、気遣いなどいろいろあろうが、一番根源的な点をいうならば、「自己認識」ではないかと思う。「自己認識」が薄い、あるいは歪んでいる場合、他者に対してどうしても偏った印象を与えてしまう。「自己認識」が歪んでいる場合、背骨が歪んでいるのと同様、様々な箇所に悪い症状が出てくる。その端的に現れる一つが、他者に与える印象ということになる。背骨が歪んでいれば姿勢が悪くなるが、「自己認識」が歪んでいる場合も考えや心持ちの姿勢が悪くなる。</p>
<p>正しく自己を見つめているならば、強みの認識はもとより、弱みの点についても受け止めることができる。自分は大したことない、ダメなところはたくさんある、まだまだ未熟だという思いに至り、謙虚になれる。と同時に、他者に対しても寛容になれる。こうした人たちは、３６０度評価などをしても、自己評価と他者評価のギャップは少ない。自分で理解している自己と他者が理解している自己とのギャップが少なければ、コミュニケーション上の齟齬も少なく、人間関係上のストレスも少なく、より自然に振る舞うことができる。こうした点が周囲にさらに良い印象を与えるという好循環ができる。</p>

<p>自分自身については、分かっているようで意外と分かっていないことが多い。自分自身を正面から見つめるということは、怖くてなかなかできるものではない。特に、自分の弱い面、悪い面などは、客観的に見ることはかなり難しい。相当な自信や余裕がなければ、弱い面は直視できない。そのような人は、強みの認識が薄いともいえる。強み認識がしっかりしていれば、それとのコントラストにより弱い点も認識しやすくなる。強みに対する確固たる自信があってこそ、弱い点にも目を向ける余裕も出てくる。また、自分の弱い面から目を逸らしている人は、他者からの評価を怖れる傾向にある。ということは、自分ではなく他人を中心とした人生観となってしまっているともいえるのではないだろうか。</p>
<p>以上述べてきたように、「自己認識」を高めるためには、まずは自己の強みについての認識を高めること。しかし、強みについてすら自分ではよく分かっていないことは多いので、いろいろな意見に耳を貸すことが肝要だ。様々お付き合いをする中で、部下育成力のあるマネジャーは概して、「自己認識」が正しい場合が多いことが分かる。おそらく、部下を本気で育成しようとする中で、自己を振り返る機会が多いからではないだろうか。子育てにも同様のことが言えるに違いない。「子供は自分を映す鏡」と言われるように、自分に直接はね返ってくるからだ。いずれにしても「自己認識」は、人との関わりの中で形成されていくものである。それゆえ、まずは周囲の身近な人たちと積極的に関わっていくことが、最も重要ということになるであろう。それが正しい「自己認識」を形成することになると共に、良好な評判をつくっていくことにもつながる。</p>
<p>さて、評判ということについて２回に渡って述べてきたが、評判とは、ある人が別の人に対して下した判断あるいは評価そのものではない。それらが、それ以外の第三者に伝えられてはじめて評判となる。それゆえ、その人物について他者に伝えたいという誘因が湧かなければ評判は形成されないという特徴がある。この点について次回補論として付け加え、当テーマを終ることとしたい。（つづく）</p>
</br>
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