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   <title>HRアドバンテージ：更新情報</title>
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   <updated>2012-04-10T01:31:59Z</updated>
   
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   <title>【コラム】第６０回　４０代という危機</title>
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   <published>2012-04-10T01:29:02Z</published>
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      <name>hra</name>
      
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      <![CDATA[<div class="sectionh2">
<h1>４０代という危機</h1>

<p>先週、ある週刊誌の取材を受けた。テーマは「４０代の危機」についてであった。読者の年齢層が上がってきたということで、ここのところ同様のテーマで次々と特集を組んでいるようだ。企業を訪問しても、「中高年のモチベーション」が重点課題として挙げられることは多く、この点は企業の側にとっても切実な問題である。</p>

<p>企業では人員構成上、ポスト不足により、役職に就いていない４０代も当然ながら多い。４０代になればその多くが管理職のポストにあり付ける時代は、もう２０年以上も前のことだ。中には、肩書きだけ軽々に多発する会社もあり、一つの課の中で課長と呼ばれる人が４人も５人もいるような会社まである。そんなことをしても問題の解決にならないことは、企業の側でも承知している。しかし、それくらいしかモチベーションを維持する手立てがないということだろうか。</p>

<p>ラインマネジャーとしての役職者ではない４０代は、モチベーションの問題が起こりやすく、会社としても扱いづらい存在だ。同期や年下の者が当人の上司となっているような場合にはさらに問題は深刻となる。悪くすると、拙著『会社人生は「評判」で決まる』の中で述べた、評判の悪い人の典型例の一つである「評論家」となってしまう。先が見えてしまい、出世を半ばあきらめている場合には、あまり労力は割かずにほどほどにやっていきたいとの思考になりがちだ。しかし、年齢的に一定のプレゼンスは保っておきたいので、口は出す。結果として、口は動かすが手は動かさない「評論家」となっていくのである。</p>

<p>「それはやはり４０代特有の問題ですか？」と取材に来られたライターの方が問われていたが、大雑把に言えばそう言えるであろう。３０代の間はまだ先が十分に見えていないこともあり、あきらめてはいない。そこまで疲れてもいない。一方、５０代も特に半ば過ぎになると、今度は職業人生のゴールが近づいてくるので、いろいろと考えるところが出てくる。残された職業人生を充実させようとの意識も生まれてくる。人間的に丸みを帯びてくるということもあるであろう。こう考えると、４０代というのは先がおおよそ見えてはいるものの、まだ先はだいぶ長く、一種の中だるみの状態にあるともいえそうだ。</p>

<p>「評論家」などがチームに一人でもいると、他メンバーのモチベーションにも影響し、職場力も低下しがちだ。「ではどうすれば、そういった４０代社員は、そうならずに済むのでしょうか？」と、やはり次の質問はそうなる。なんらか奇策があるわけではないので、至極当たり前のことを答えなければならなくなるわけだが、リーダーでなくとも、「この人にいてもらわなければ困る」という人になるというのが真正面からの答えであろう。いわば、”余人を持って替え難い”という存在だ。ただし、これは何も専門知識のことだけではない。後輩の相談役になるとか、社内の根回しの支援をするとか、リーダーとメンバーの橋渡しをするなど、貢献の仕方は多様にあるはずだ。チーム内の自分の位置づけや役割というものをよく考え、動ける人は、評判が落ちることはない。</p>

<p>逆にいえば、チーム内の４０代の人たちの振舞い方次第で、チーム力は左右されるといってもよい。それゆえ、自分がどういう立ち居振る舞いをすることがチーム力の向上につながるのかを考えて動くことは、４０代メンバーにとってはとりわけ重要だ。こう考えてくると、たいへんネガティブな問題から入った議論ではあったが、多くの企業が抱える問題を解決する糸口を探るための、実は極めて建設的なテーマ設定であったということを最後の方になって再確認した。</p>

<p>取材の最後に、「ジョーク的に笑いをとるパートとして付け加えたいのですが、たとえば、今にもクビになりそうな４０代があと２年間延命するためには？というようなことを考えた場合、何か妙案はありますか？」と聞かれた。まず頭に浮かんだことをやはり冗談半分に答えた。「釣りバカ日誌のハマちゃんのように、社長の釣りの師匠になるなど、上司と同じ趣味を持つということは考えられるかもしれませんね」と。かつての職場にも、“アウトドアおたく”とも言える人がおり、仕事上はあまり冴えなかったが、連休などには職場の連中を引き連れてアウトドアへ出掛けていた。</p>

<p>もちろん本筋ではないが、仕事以外の面であっても職場メンバーにとって何らかの役立ちがある場合、評判は悪くはなりづらい。また、職場外での付き合いもあり、いろんな顔が見えている場合は、互いに理解し合っているという意識や安心感により、仲間意識が強くなる。仲間意識が強い場合には、仮に仕事上多少の不具合があったとしても、互いに助け合ってなんとか乗り切っていく。そのような場合、必ずしも、チーム力が落ちることにはならない。むしろ、仕事はできても不機嫌さを周囲に振りまいているような４０代がいるような場合よりは、はるかにチームの生産性は上がるに違いない。</p>

</div>]]>
      
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   <title>自社の本当のコアスキルは何か？そしてそれを全員が身につけているか？</title>
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   <published>2012-04-09T04:41:41Z</published>
   <updated>2012-04-09T08:40:17Z</updated>
   
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      <name>hra</name>
      
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         <category term="更新情報" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
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      <![CDATA[<div class="sectionh2">
<h1>自社の本当のコアスキルは何か？そしてそれを全員が身につけているか？</h1>
<p>Facebookのスピード感、すなわち、日々サービス内容が進化して、世界中のコミュニケーションを軒並み飲み込んでゆくかのようなスピード感には驚くばかりです。そして、つまるところシリコンバレー全体がそうなのです。そのスピードでもって日本を初め世界をぶっちぎっているのです。そのスピードの秘密はどこにあるのでしょうか？</p>
<p>それは、端的に、開発企業は「プログラマーしか採用しない」ということにあると言ってよさそうです。マーク・ザッカーバーグは、「Facebookは早い時点から、人事やマーケティングのような、プログラミングが主な仕事ではない職種についても、プログラマーを採用すると決めました」と2007年の講演で語ったそうです。</p>
<p>およそシリコンバレーにおける技術者の採用とは、徹底的に技術者集団による技術者の採用であり、プログラミングそのものの課題をその場で出して、実際にプログラミングをさせて議論しながら、対象者の技術力そのものを見極めるものであることが知られています。（興味深いケースとして、例えば、<a href="http://d.hatena.ne.jp/elm200/20110926/1316992422">「Twitter 社採用面接受験記」</a>）</p>
<p>つまり、端的に言えば、シリコンバレーでは原則として開発に関わる全社員が「プログラムのコードを読める」のです。つまり、そこでは仕様書など不要なのです。つまり、（日本であればそのために過半のエネルギーを費やすであろうような）「システムの仕様についての役員へのプレゼン」も「パワーポイント資料」も不要なのです。・・・であれば組織のスピードがぶっちぎりで早くなるわけです。</p>
<p>これを一般化すると、次のことが引き出せます。<br />
</p>
<blockquote style="margin-right: 0px">メンバー全員が事業の「コア」となる共通のスキルを身につけていることで、企業活動のスピードが圧倒的に速くなる。（そのスキルを持たない者のために余計な翻訳をする必要がない。スピードを遅らせる必要がない。）<br />
<br />
その「コア」の発揮に事業の成否がかかっているならば、その発揮を妨げないことを最優先とする。コアに他の全てを合わせるものとし、他のリソースは、コアの発揮を促進できるように振る舞う。（そのためにも、そのメンバー全員が「コア」の一員となる。）<br />
</blockquote>
<p>このことこそ、世界で戦えるための必須事項ではないでしょうか？自分の組織において、価値を生んでいる「コア」のスキルは何でしょうか？そして、そのコアについては全員が身につけるよう徹底させているでしょうか？例えば、社内の勉強会には職種・役割・階層問わず全員参加するのが当たり前になっているでしょうか？</p>
<p>◆<br />
<br />
こうして振り返ると、世界で勝っている企業は等しく、コアが何かが明確でそのコアを全員が身につけるものとしているのです。伝統的な大企業であってもそうです。</p>
<p>例えば、家庭用品業界のますます盛んな巨人であるところのP&amp;Gは、「イノベーション」で世界をぶっちぎると決めたならば、「P&amp;Gの社員は、創造力と規律をもってイノベーションを着想し管理する方法を知っているイノベーションリーダーです」と世界に宣言し、イノベーションの必須行動を定式化し、それを「アドミスタッフからCEOまで全員」に求めています。</p>
<p>日本企業であっても世界で戦えている組織というのはそうです。トヨタ生産方式が、製造現場にとどまらない「仕事の哲学」になっているのは、最も典型的な例でしょう。</p>
<p>あるいは、任天堂は代表取締役社長および代表取締役専務の経営トップ自らが、クリエイターであり開発者でありゲーマーであり、そのトップを中心に全員が開発プロセスに参加するような経営であることが知られていますが、それも一例であると言えるでしょう。</p>
<p>あるいは、太陽電池製造装置で世界の約５０％のシェアを持つアルバックという会社があります。同社も社長以下の「全員会議」で開発が進むことが知られています。テーマ別の開発会議には、社長、役員、事業部長、新入社員までが顔を揃え、入社１年目２年目の人たちが発表する場合もあるということです。そこにおける共通言語は同社のコア技術である「真空技術」の言葉ということになるでしょう。</p>
<p>あるいは、「百万分の一の歯車」で有名な「樹研工業」という精密部品メーカーがあります。超精密部品の精度を出せる金型製作が命ということになりますが、そのため、新人全員に、「最初はコンピュータを使わせず、焼き入れと内面研磨の二つをじっくりとやらせる」のだそうです。それによって「金属の微細なクセ」が体で身につき、それがコンピューター加工では出せない差別化の基礎になるわけです。<br />
<br />
◆</p>
<p>もともと日本企業は、他の国の企業にはない「全員共通のコアスキル」を持つことで高生産性を実現し、高度な発展を遂げたのでした。そのコアスキルとは、「日本人であること」、すなわち「空気を読む力」、あるいは「あうんの呼吸がわかる力」、それによる「擦り合わせる力」でした。しかし、世界のデジタル化と水平分業化が進むとともに、それだけでは「コア」たりえなくなり、全員が共有するものをもっと絞り込む必要があるのだ、と言えそうです。<br />
</p>
<p>（HRアドバンテージであれば、<br />
　　１．働く人への共感を基礎に、<br />
　　２．人材像を構造的に把握し、<br />
　　３．それをデータとして扱う。<br />
・・・というところがコアになるわけですが、これを全員が身につけることこそが事業発展の基礎なのだな、と想いを巡らせ中・・・）<br /><br /></p>

</div>]]>
      
   </content>
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   <title>【コラム】第５９回　入社式での社長訓示はなぜ記憶に残らないのか？</title>
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   <published>2012-03-13T00:06:57Z</published>
   <updated>2012-03-13T00:10:25Z</updated>
   
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      <![CDATA[<div class="sectionh2">
<h1>入社式での社長訓示はなぜ記憶に残らないのか？</h1>

<p>まだまだ寒さが残っているが、来月からはもう新年度である。企業では、新入社員を迎える準備に忙しいに違いない。入社式では、社長が新入社員を迎えるにあたっての訓示を述べるのが慣わしとなっている会社が多いが、そこではどのような訓示が述べられているのであろうか。入社して数年も経てばもう記憶には残っていないという人が大半であろう。それどころか、入社式の数日後にはすでに記憶にないなんてこともあるかもしれない。端から見ていても、入社式での社長訓示は、記憶に残るようなものは少ないように思われる。</p>

<p>昨年の新入社員への社長訓示も、公開されているものはほとんど目にした。昨年の場合、当然ながらまずは冒頭で大震災に触れ、その後、自社の事業や歴史、理念などについて述べ、新入社員への期待やアドバイスで締めくくる、という構成が多く見られた。自社の事業や歴史、理念などについては、新入社員研修で詳しく学ぶことになるので、社長訓示では、自ずと新入社員に対する期待やアドバイスに重点が置かれることになる。期待やアドバイスということでは、「コミュニケーション、高い志やチャレンジ、顧客視点やグローバルな視野」などが最頻出テーマであったように思われる。</p>

<p>これらはすべて重要なことであることは間違いない。しかし、残念ながら響かない。失礼な言い方だが、多くの場合は、隣の会社へ行って同じことを述べられても、特に支障がない内容であろうとも思える。普遍的ともいえるのかもしれないが、これではおそらく新入社員には刺さらない。記憶には残らない。自分に向けられた言葉でなければ、たいていは耳を素通りしてしまう。とかく、全体へ向けられたメッセージというものは、メッセージ性は低くなる。広告のコピーなどでも同様だ。「パソコンをお使いの皆様へ」なんていうコピーでは誰も振り向かない。「一日に５０通以上のメールを送受信する４０代の管理職の方々へ」であれば、該当する人は振り向くであろうし、おそらく該当しない人の一定割合も振り向くはずだ。</p>

<p>全体へ向けられた一般的な内容の訓示を新入社員の気持ちで読んでいると、どうしても“駒”としか見られていないような印象を受けてしまうのである。新入社員を迎えるにあたって、「あなた方一人ひとりに強い関心がある」というメッセージを発することは必須ではないだろうか。しかし、それを感じ取れる訓示はほとんど見当たらない。たとえば、一人ひとりの採用選考内容を事前に見ているのならば、今年の新入社員の強みなどの特徴や、抱いている希望などは理解しているはずだ。であるならば、それを踏まえたコメントがあってもよいはずである。そうではなく、自分が述べたいことだけを述べても、上滑りしてしまいがちではないだろうか。</p>

<p>ところで、訓示を述べられる経営者の方々は、自分の息子や娘が社会に出るにあたっては、どのような言葉を贈るのであろうか。おそらくは、「おまえは○○だから、こういうことに気をつけなさい」とか、「新入社員の時にはこういうことが多くあるから、そういう時は・・・」とか、あるいは、自分の若い頃の失敗談などを話すかもしれない。当たり前だが、本当に親身になって、息子や娘のことを考えてアドバイスを贈るに違いない。まさか、訓示で述べるような一般的な話はしないであろう。自社に迎える新入社員に対しても、本来そのようなメッセージを発するべきではないだろうか。</p>

<p>ちなみに、大手企業よりは、中堅中小企業の社長訓示の方が気持ちを動かされるものが多い。推測するに、これには少なくとも二つの理由があると思われる。一つには、担当部署が原稿を用意しているのではなく、社長自身がゼロから頭をひねって内容を考えているということ。そしてもう一つは、新入社員の人数が少ないので、一人ひとりに目が向いているということである。数百名もいると、どうしても集団という“塊”としか見なくなってしまうのであろうか。より多くの人たちに対して責任を負っているということと、大きく矛盾しているように思われるのだが。</p>
<br />
<br />
</div>]]>
      
   </content>
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   <title>続・金融危機をきっかけに人事のあり方は変わるか（成果の真の目利きへ）</title>
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   <published>2012-03-07T01:24:46Z</published>
   <updated>2012-03-09T00:43:00Z</updated>
   
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      <![CDATA[<div class="sectionh2">
<h1>続・金融危機をきっかけに人事のあり方は変わるか（成果の真の目利きへ）</h1>
<p>欧州を中心に金融市場の混乱はなお続き、銀行による投機的な投資の制限など、金融市場のあり方の抜本的な見直しの議論も続いていますが、そのような金融市場の動向が人事のあり方にどう影響を及ぼすか、ということについてあらためて考えてみたいと思います。</p>
<p>人事部門も、財務部門も、経営スタッフ部門として花形部門たりうる部門ですが、人事部門と財務部門とは「仲があまり良くない」とはよく言われます。そして、財務部門の力が強い時代には人事部門の力が弱く、逆に人事部門の力が強い時代には財務部門の力が弱くなる、と言われます。そして、「市場」の働きが賞賛され信じられている時代には財務部門の力が強くなり、逆に「市場」の働きに疑問が呈せられ市場を統制する国家の役割が大きくなっているような時代には人事部門の力が強くなる、ということが指摘されています。（以前の本コーナー記事： <a href="http://www.hra.jp/d0000/d1000/00140.html">金融危機をきっかけに人事のあり方は変わるか</a>）</p>
<p>ソ連が崩壊した90年代初頭から2008年のリーマンショックに至るまでの20年近くは、金融市場の拡大が主導する形で世界経済は拡大し、世界的に市場の働きが賞賛される時代でした。その時代は明らかに財務部門の時代でした。ビジネス界のトップエリートを目指す者はこぞって投資銀行や財務部門を目指しました。上がる株価と報酬とを連動させる報酬制度が普及し、高額所得者を生み出しました。資産運用マネージャーの報酬も青天井となりました。世界を動かすかのような経営者や資産運用マネージャーの報酬の世界は、労働者の報酬とは別次元の世界となり、それは人事部門が介入する世界ではありませんでした。</p>
<p>しかし、金融市場のバブルは崩壊し、市場機能維持のために巨額の公的資金が動くなど混乱が続いています。そして、金融市場の混乱の原因が、巨額の利益を上げれば巨額の報酬を得ることができるが大損しても会社を辞めるだけでよいという「ノーリスク・ハイリターン」の報酬制度にあったことが指摘されています。得られる利益の規模は動かす資産の規模に比例するため、運用マネージャー／トレーダーは、元手資本にレバレッジをきかせて資産規模を膨らませ、かくして実体経済の規模とはかけ離れた規模の投機マネーが世界経済を振り回す、という、金融市場の破壊的な性質も広く認識されるようになりました。</p>
<p>さて、そのような状況に至ったことは人事のあり方にも影響を及ぼすでしょうか？</p>
<p>つい最近、ハーヴァードビジネススクールのMihir Desai 教授が、金融市場に携わる者のインセンティブについて、興味深い論考を発表し、次のことを指摘しています。 (出典： <a href="http://hbr.org/2012/03/the-incentive-bubble/">The Incentive Bubble</a>) </p>
<blockquote style="margin-right: 0px">１） 金融資産の価値と、経営者や資産運用マネージャーなど個人の報酬とを連動させたことが、不可避的にバブルを発生させ、健全な資本主義を歪めた。<br />
２） 金融資産と個人の報酬とを連動させるということは、パフォーマンス評価のあまりにも安易な「アウトソーシング」だった。<br />
３） そのような報酬制度は、投資家と、資産を預かる資産運用マネージャーとがWin/Winになるように見えるため肯定されてきたが、実際には、リスクテーキングのインセンティブが歪むので投資家に対しても良い結果をもたらさず、またそれは資本配分を歪めるため、経済社会の生産性に対しても悪影響をもたらす。<br />
４） しかし、資本市場で個人が成功できることこそが資本主義のインセンティブのキモであり、金融資産価値の上昇を個人の報酬に結びつけることそのものを否定することはできない。<br />
５） そこで鍵になるのは、アルファ（=市場平均収益を上回った収益）とベータ（=市場平均収益）の概念である。真の超過収益であるアルファを見極めて、報酬はそこに連動させなければならない。そのようなアルファの見極めは、決して容易なことではない。また、単年度の評価ではなく長期の評価にしなければならない。しかも、その収益を上げる上でのリスクと一体的に評価しなければならない。<br />
６） それは、株主資本主義を否定することではなく、株主資本主義を、その本来のあるべき姿に戻すことである。<br />
</blockquote>
<p>まさに、王道を指し示す指摘であると思います。特に、金融資産価値でパフォーマンスを評価することは、パフォーマンス評価を金融市場に安易にアウトソーシングしてしまったということだ、という指摘は、「市場価値なのだから仕方がない」と市場にひれ伏しがちな姿勢に対する痛い指摘であるように思います。</p>
<p>この王道を歩むことを志向する時には、人事部門の役割はどのように変わるのでしょうか？・・・そうです。事業そしてその担い手が生み出した真の付加価値を見極める役割が問われます。そのためには、次のスキルが必須になるでしょう。つまり、ベンチマーキングのスキルが人事部門のコアスキルの一つとして加わるかもしれません。</p>
<blockquote style="margin-right: 0px">１） 事業環境と自社の位置付けの把握<br />
２） 事業のリスクと期待できるリターンの見極め<br />
３） 市場や競合他社との比較すなわちベンチマーキングを通した、付加価値の評価<br />
</blockquote>
<p>事業の直接の担い手には、自分の事業への強い思い入れがありますから、全社的な視点から、あるいは株主の視点から、客観的にジャッジする必要があるのです。そしてそれこそが、社員の評価と報酬を統括する人事部門に期待される役割になるのではないでしょうか。</p>
<p>そしてそれを行なうためには、事業に直接携っていた経験も重要となるでしょうし、市況や最新の商品やサービス、競合などの情報を求めて、社内外の人と積極的に会うことも、重要な仕事の要素になってくるでしょう。</p>
</div>
<br />
<br />
<!--/sectionH2-->]]>
      
   </content>
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   <title>【コラム】第５８回　〈番外編〉がん検診におもう</title>
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   <published>2012-02-14T00:21:47Z</published>
   <updated>2012-02-17T02:13:24Z</updated>
   
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      <![CDATA[<div class="sectionh2">
<h1>〈番外編〉がん検診におもう</h1>

<p>久しく番外編を書いていなかったので、このあたりで少し肩の力を抜いて番外編を挟みたいと思う。番外編はまったくの私事の中で思うところがあったことについて、これまでも書いてきたが、今回もそのような内容とさせていただく。コラムというよりも、むしろブログ的であることをお許しいただきたい。</p>

<p>知人の勧めで、先週、会社近くの病院でがん検診を受診した。ＰＥＴ検診というもので、がん細胞は正常細胞よりも多くのブドウ糖を摂取するという特性を利用して、ブドウ糖に似た構造の薬剤を使用し、体内のブドウ糖の代謝を画像化してがんを診断するものである。　</p>

<p>診断の結果は２週間後に郵送されるとのことだったが、その後に受付の方が付け加えられた一言が、耳から離れなくなった。それは、「ただし、緊急性が高い場合にはお電話します」というものだった。受付の方としては普通に事務的連絡として付け加えられたに違いない。この検診を受診した人には毎度当たり前のように、そのように伝えているのであろう。しかし、受診者の側からすれば、こんなに怖い言葉はない。おかげでそれ以降というもの、電話には異常なまでに過敏になった。</p>

<p>クライアント先でのミーティング中などは、携帯のバイブが鳴っても放っておくのだが、それ以降は、非礼ながら思わず手に取って表示を見てしまうことが多くなった。03から続く見知らぬ番号であった時など、気が気ではなくミーティングへの集中度にも少なからず影響した。その病院の検診センターの番号を登録するかどうかしばし迷ったが、迷った挙句に登録をした。電話が鳴り、その病院名が表示されでもしたら、心臓が口から飛び出しそうなほどに驚愕するに違いないのだが、とはいえ、03番号の度にいちいち集中度を落とされるのも堪ったものではないので、結局そのようにした。</p>

<p>ある時、やはりミーティング中にバイブが鳴った。携帯を手に取るとその病院名が表示されている。あぶら汗が滲む。中座の許しを得て電話に出る。心なしか聞き覚えのある声。「相原様の携帯ですね。大切なお話があります。早急に弊院までお越しください。」目の前の景色が歪む。</p>

<p>こんな夢を数日前に見た。映画やテレビドラマでこのようなシチュエーションがあまりにも多いので、容易に自分の中で映像化されてしまうのであろうか。とはいえ怖れすぎだろうか。しかし、相手は癌だ。身近な人の中にもそれによって旅立たれた人は多い。あと半年なんて言われたらどうするか。まだ小学生の子供がいる身である。「緊急性が高い場合にはお電話します」というあの一言。あれは果たして、あえて付け加えるべきものなのかどうか。そんなことも幾度か考えた。聞いてしまえば、受診者の側では自ずと構えてしまう。たとえ心配のない結果だったとしても、２週間もの間、無用な心配をしてしまうことになる。</p>

<p>果たして「あと半年」と言われたらどうするか？いろいろ考えてみては即座に否定するようなことを何度も繰り返した。やりたくてもなかなかできなかったことをやり尽くすか。行きたくて行けなかった所へ行くか。それとも、少しでも世のためになるようにボランティア活動に精を出すか。やはり、家族と一緒に過ごす時間を少しでも多くすべく、とにかく家族に密着するか。いずれもどうもあたふたし過ぎのような気がする。最低限、映画「マイ・ライフ」のマイケル・キートンを見習って、自分がこれまで学んできたことを息子へ伝えるべくビデオに収録するか。いやかえってそのようなものは残さない方がいい。</p>

<p>さんざん逡巡した挙句、その時が来るまで、自分らしい普通の生活を送るのがやはりベストではないか、というありがちな結論に至ることになった。なんとなく、それが良いように思う、というのが一番の理由だ。癌とはいえ、死とは生物にとって自然なことであるから、その自然なことへ向けて不自然な行為をしてしまえば、死の間際になってきっと後悔しそうな気がするのだ。ただ、自然に日常を過ごすとはいっても、その事実を知らなかった場合と同じようにというわけにはいかない。やはり後悔を残さないように、自分らしく密度濃く過ごしたいとは思う。ほかに何か特別なことをするとするならば、座右の書でもある、「後世への最大遺物」（内村鑑三著）にあるように、自らの思いや考えを何らかの形で遺すことくらいであろうか。</p>

<p>しかし、自分らしく自然に過ごすと考え至ったところで、一つの壁に直面することになった。自分らしくとはどういうことか、という点である。これまで、内観のようなことはあまり気が進まず、いわば自分自身を見て見ぬふりをして過ごしてきた。自己が肥大化してしまうのは良くない、なんていう言い訳のもとに自分はさて置き、仕事や会社、家族や社会など、周りのことにあえて意識を向けてきた。しかしここに至って、もしもの時の備えとしてそこを考えておかなければいけないという状況に直面することになった。自分らしくということが分からなければ、自分にとって自然な状態というのも分からない。結果として、その時へ向けて、自分らしく自然に過ごすことすらままならない。これは困ったことである。</p>

<p>いろいろ考え、自らの原風景といったものに思いを巡らす中で、「職人気質」への憧れの理由などが確認できた。まだまだ時間は掛かりそうだが、どうもそのあたりから自分らしさのヒントが得られそうだ。この点が今後へ向けての大きな宿題となったが、少なくとも、今回図らずも逡巡する機会を得たことで、もしものその時までにどう過ごすべきか、さらにそれまでに何を考えておく必要があるのかが鮮明になり、だいぶ心の平静を得られたように思う。ともかく現状においては、例の一言を受付の方が言ってくれたことに感謝しなければならないであろう。</p><br />
（これをアップした後に、がんになったような結末で心配になる、というありがたいご心配のお声をいただいたので、追記させていただきます。現時点にてまだ診断結果は出ておりませんが、夢の中以外では電話連絡もいただいていないので、少なくとも緊急性はないものと心得ております。お心遣いに感謝いたします。）
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